「人力車夫」の知られざる残酷史! いまやイケメン&1000万プレーヤー登場も、かつては日本近代化の餌食となっていた
社会的弱者としての運転手
昭和に入ると、興味深い変化が見られる。人力車夫と並んで運転手も同列の生活困窮者が増えているのだ。 1934(昭和9)年の『東京養育院月報』第391号では、人力車夫と運転手がともに 「没落職業階級」 として位置づけられている。ここには「昭和7年度中の養育院入院患者概況」が掲載されているが、入院した者の職業を掲載している。運輸業では ・自動車運転手/助手:16人 ・人力車夫:23人 ・舟夫:13人 ・荷車挽、馬方(馬に荷を引かせて運ぶ職業の人):15人 となっている。さらに、その説明ではこう記されている。 「運輸業の自動車運転手、助手及び人力車夫は一種の没落職業階級であり、運転手はそれに取って代わった新興職業階級で、両者は倶に天を戴かざる仇敵関係である。而して形態こそ異なれ、本質的に同じき両者が共に多くの養育院入院者を出せること興味ある社会現象ということができよう」 この一節は、自動車の普及により人力車夫が衰退産業の従事者となっていく過程を示している。同時に、注目すべきは、新旧両方の交通手段で働く人々がともに社会的弱者として描かれていることである。人力車夫に取って代わった運転手もまた、同じく“没落”した人たちの行き先だったのだ。
人力車夫の収入
そもそも、生活に困窮した人たちはなぜ人力車夫を選んだのか。理由は簡単だ。それが 「てっとり早くもうかる商売」 だったからである。1912(大正元)年に出版された勝永徳太郎なる人物が書いた『金儲けの秘訣 不景気知らず』(尚文館)では、人力車夫がもうかる商売として紹介されている。 「地方では、利益の薄い内店業は、家族に任せて置いて、戸主は人力車夫を営るのもの可い。従来小作人ら農間に、小さい旅宿の亭主なども副業にして居た。(中略)月収は諸費を減いて15、6円にはなる」 15~16円とは今でいえばいくらくらいなのか。物価上昇率は商品やサービスによって異なるため、単純に貨幣価値を比較することは難しいが、三菱UFJ信託銀行のウェブサイトに次のような記述があるので、参考になるかもしれない。 「1913年(大正2年)の企業物価指数は0.647なので、2019年と比べると、1,080倍の差があります。つまり、1円は1080円程度の価値があったといえます。先ほどと同様、当時の給料をもとにして考えた場合、大正時代の小学校の教員の初任給は50円程度だといわれているので、1円は4000円程度の価値があるといえます」 副業として、小学校の教員の初任給の「3割程度」であった。