第1回M-1で準V・ユウキロックが芸人復帰を発表 コンビ解散から10年「スべってもいいから好きなことをやって生きたい」
相方は「自分から探しに行きます」
元お笑いコンビ・ハリガネロックのユウキロックが1日、自身のXで芸人復帰を報告した。 【写真】「スリムやな」「若い」と反響…ユウキロック、約30年前の若々しい「伝説のコンビ」2ショット ユウキロックはXに長文の文書を投稿。「2025年、お知らせがございます。早速、結論から申し上げますが私ユウキロック、芸人に復帰することにいたしました。芸人という定義はそれぞれ違うと思うのですが、僕の中では芸人とは『創作すること。それを演じること』という感じです。簡単にいえば『ネタを作る。やる』ということです」と宣言した。 さらに「2014年に漫才コンビを解散してから、ほとんどネタをしてきませんでした。こだわりを持って、真剣にやってきたからこそ簡単にやるという気持ちになれませんでした。僕はお笑い講師の仕事をしているので様々な人とお笑いやネタ作りを通して関わります。その中で昨年のM-1グランプリは参加組数が1万組を超えました。僕が仕事で関わっている方も6組で出場。その中の1人はまた別の方と6組ほどで出場。YouTubeでは吉本興業の漫才コンビ元10億円山内君が4組くらいで出場しており、動画を通して追って観てました。6組で出場するということは最低6本のネタが必要です。彼は大変そうですが楽しそうにも見えました」と続けた。 「昨今のそういった行動は僕には考えられない、カルチャーショックでしたが、でも何故かうらやましくもありました。こういった形を嫌う人はいます。実際僕もそうでした。ただ今は楽しむ時代なのかな? とも思いましたし、その人自身の向かう気持ち次第であり、『プロ』だからって中途半端な奴は駄目ですし『アマチュア』でも本気の気持ちでやれば問題ないかなと思いました。僕も他の仕事も続けますが創作に対する気持ちを中途半端にしたことはありません。お笑いに関していえばデビュー当時に戻って、好きなことをお笑いにして向き合えばいいかな?と少し思うようにもなりました。そんな頃に愛犬パンクが天国へ旅立ちました。漫才コンビ解散後の歴史はパンクとの歴史。そう言っても過言ではないくらい一緒にいました。僕がどんな状況に置かれようがいつも変わらないパンク。僕がパンクにすがって生きてきたんだと旅立ってから気づき、生きる気力がなくなりました。そんな風に考える自分も嫌ですし昔の自分にはなかった考えです。これはダメだ。立ち上がらないといけない。本気で思いました。そんな中、M-1の件もあり僕に出来ることはやっぱり『創作すること』。それしかないと思いました。『スべるのが怖くて舞台に立たない』くらいなら、『スべってもいいから好きなことをやって生きたい』。」と復帰を決断した理由を明かした。 そして「まだまだお伝えしたいことはあるのですが、長くなりますので。本当はパンクの49日が終わって始動。『R-1ぐらんぷり』に出場しようと思っていたのですが、今年まさかの前倒しで始まることになったため断念しました。ですがまずは1人ですのでピンネタを作ってフリーライブに出演することから始めようと思います。でやはり僕はコンビでの活動が長かったので漫才やコントもやりたいと思っています。お誘いは全然嬉しいのですが『相方募集中』なんて偉そうにするつもりはありません。自分から探しに行きます。誘われた人はまずお試しでやってください。まだまだ面白いネタは作れますし、講師をしているので完全アップデートしてますし、作られたネタを演じる演技力も所作もテンポもリズムも抜群に良いです。2025年は『芸人・ユウキロック』を頑張ってみようと思います。今まで以上に熱い応援をよろしくお願いいたします」とコンビでの活動も視野に新たな挑戦への意気込みをつづった。 ユウキロックは1995年に大上邦博とコンビを組みハリガネロックを結成。2001年の第1回M-1グランプリで準優勝した。14年にコンビを解散。以降は主に裏方としてお笑い養成所の講師、構成作家、ライターなどとして活動している。
ENCOUNT編集部