皇室と軽井沢「戦争を忘れない」繰り返し“開拓地”を訪れる理由とは【皇室a Moment】
この戦後60年の夏には、那須御用邸での静養中、中学2年生だった孫の小室眞子さんを栃木県内の「千振(ちふり)開拓地」にお連れになりました。旧満州からの引き揚げは、藤原ていの体験を元にした本『流れる星は生きている』が有名ですが、眞子さんはこの本を読んでいたそうで、上皇后さまは戦中戦後のことに少しでも触れてほしい、と誘われたということです。 印象深いのは、戦後70年の2015(平成27)年、太平洋の島国パラオで慰霊された後、開拓地を相次いで訪問されていることです。最初にパラオから引き揚げた人たちが入植した宮城県の「北原尾(きたはらお)」、続いて栃木県の「千振」、そして軽井沢の「大日向」です。「北原尾」は北のパラオという意味の命名だそうです。 ――「戦後何十年」という節目の年には海外の慰霊だけでなく、国内の開拓地に足を運んで、苦労した人たちに心を寄せられたんですね。
◾️毎年の訪問に見える「戦争を忘れず伝えていく」――という思い
上皇さまは天皇として最後の誕生日会見に臨んだ2018(平成30)年12月、次のように話されました。 上皇さま: 「先の大戦で多くの人命が失われ、また我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました」 お言葉にある「多くの犠牲」を悼むのが慰霊、「忘れない」という思いの表れの一つが開拓地訪問ではないかと思います。伝えることへの、思いの強さを感じます。 そして、今の天皇陛下も、皇太子時代の2016(平成28)年に大日向との関わりなどについて述べられています。 ――こちらです。
天皇陛下: 「私自身、昭和40年以降、毎年のように夏の軽井沢で両陛下とご一緒に沖縄豆記者の皆さんにお会いしたり、戦後引き揚げてきた方々が入植した軽井沢にほど近い大日向の開拓地を両陛下とご一緒に何度か訪れるなど戦争の歴史を学び、そして両陛下のお気持ちに直接触れてきております」