皇室と軽井沢「戦争を忘れない」繰り返し“開拓地”を訪れる理由とは【皇室a Moment】
◾️“ユウスゲ”を介した交流
それがこちらの「ユウスゲ」です。ユウスゲは夏の夕方、西の空を見上げるように黄色い花をつけるユリ科の花です。地元では「アサマキスゲ」と呼ばれます。ご夫妻は、この年の夏、軽井沢の植物園を訪ね、開発でユウスゲの数が減り、種の入手に苦労していることを耳にされました。
お二人はかつて町から贈られたユウスゲを、御所の庭で育てられていました。数の減少を聞いて、この年の秋、黒田清子さんと3人で種を採り、植物園に贈られました。プレゼントは6年続き、種の数は5万8千粒に上ったそうです。ご成婚50年の2009(平成21)年4月10日、軽井沢町は両陛下の種から育てた苗を町民に配り、町の人たちはご夫妻のユウスゲへの特別な思いを噛みしめ、金婚式をお祝いしました。 ――そんなすてきな交流があったんですね。 退位後、上皇ご夫妻のお住まいは、皇居から高輪、そして赤坂に移りましたが、いずれも庭にユウスゲを植えられているそうですから、ご夫妻にとって“特別な花”“思い出の花”と言っていいと思います。
退位後、上皇ご夫妻のお住まいは、皇居から高輪、そして赤坂に移りましたが、いずれも庭にユウスゲを植えられているそうですから、ご夫妻にとって“特別な花”“思い出の花”と言っていいと思います。 ユウスゲは上皇后さまも歌に詠まれ、浅間山を望む町立病院の一角に歌碑が建っています。 ――2002年に「夏近く」と題して詠まれた歌が、こちらです。 「かの町の 野にもとめ見し 夕すげの 月の色して 咲きゐたりしが」 ユウスゲを思い出し、軽井沢を懐かしまれた歌だと思います ――上皇ご夫妻の軽井沢とユウスゲへの思いの深さが伝わる歌ですね。
◾️大日向だけでない「開拓地」訪問
冒頭、大日向の歴史、皇室との関わりについてお話ししましたが、旧満州などから引き揚げてきた人たちとの交流は、大日向だけではありません。 2005(平成17)年8月、この年は戦後60年でサイパン島を慰霊された年ですが、お二人は結婚間近の黒田清子さんと3人で長野県南牧村にある野辺山の開拓地を訪ね、畑に入ってレタスを収穫されました。この場所も旧満州などから引き揚げた人たちが入植した開拓地でした。 私も現地で取材していましたが、お二人はレタス農家の人たちと交流し、上皇さまが「ご苦労が多いと思いますが、開拓地で立派に農業を安定させていることを大変心強く思っています」と話されていたことを思い出します。