力道山「最後の試合」1963年12月7日、昭和の英雄は24時間後に腹部を刺され…
【昭和~平成スター列伝】日本プロレスの祖・力道山は今年で生誕100周年を迎えた。1963年12月15日には39歳の若さでこの世を去っている。英雄の死は日本中に衝撃を与えたが、死去の2週間前からは嵐のような戦いの連続だった、12月2日東京体育館、4日には宿敵の“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーを連破してインターナショナルヘビー級王座20回目の防衛に成功。6日名古屋では豊登とのコンビでデストロイヤー、バディ・オースチン組を撃破して6度目の防衛に成功している。 【写真】力道山、最後の雄姿 そして12月7日浜松では力道山「最後の試合」が行われている。力道山、グレート東郷、吉村道明組対デストロイヤー、オースチン、イリオ・デ・パウロ組の60分3本勝負だった。本紙は1面で詳細を報じている。 『11月26日から2週間にわたって日本中を熱狂させた国際戦「デストロイヤー・シリーズ」が幕を閉じた。魔王の日本遠征最後の試合はすさまじい血の乱撃戦となった。1本目はまず力道山が魔王に一騎打ちを申し入れるが、躍り込んだパウロがネックブリーカー。力道山は空手チョップをふるって脱出。代わった魔王はさすがに巧妙だ。パウロのキックを呼び込み、吉村をガッチリとアームロック。東郷がドロップキックでコーナーまで吹き飛ばす。いよいよ力道と魔王の一騎打ちだ。魔王はトーホールドから4の字固めを狙った。力道がキックで逃げると、パウロと吉村に代わり、パウロがガッチリの腕殺し。この後、魔王と狂犬は6分余にわたって吉村の腕を締め上げた。たまりかねた力道山と東郷がなだれ込み、頭突きと空手チョップが乱れ飛ぶ。力道山は魔王を逆エビ固めに捕らえ、東郷はパウロを場外へ叩き出し、魔王をコーナーに逆さにつって頭突きのメッタ打ち。沖レフェリーが外人組を助けようとするが、怒った力道山は沖レフェリーの顔面を空手で血だるまにして反則負けとなった。2本目は怒り狂った力道山がパウロをあっという間に蹴り倒して46秒でタイに。だが3本目は再び両軍入り乱れて大乱闘。血だるまの沖レフェリーが右往左往するうちに60分時間切れ。「デストロイヤー・シリーズ」は血の乱撃戦で終わった。力道山は「デストロイヤー・シリーズは終わったが、わしとしては90点の成果を上げたと思っている。ファンに喜んでもらえるファイトができた。年内にも1回ぐらい試合をするかもしれない。14日ごろアメリカに行く」と上機嫌で話した』(抜粋) 結局、渡米は実現しなかった。力道山は試合後に夜行列車で帰京。試合から24時間後に赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で暴力団員に刺され、1週間後の15日午後9時50分、赤坂の山王病院で帰らぬ人となった。戦後の復興期から国民に勇気を与え続けてきた英雄は、まるで生き急ぐように39年の人生を駆け抜けた。(敬称略)
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