【今さら聞けない】フィアットの屋台骨「パンダ」 45年の歴史をおさらい、4代目はどんな「ファミリー」に?
今も語り継がれる初代
フィアットを、ひいてはイタリアを代表するスモールカー「パンダ」。つい先日、第4世代が発表されたばかりのパンダの歴史を紐解いていこう。 【写真】歴代パンダのフォトギャラリーをみる (105枚) 初代パンダは、1980年3月のジュネーブ・モーターショーで発表された。 当時のフィアットに存在していた小型車たちと大きく異なる点は、デザインを外注したことにある。デザインを引き受けたのは、言わずとしれたイタルデザイン社。 1968年に技術者のアルド・マントヴァーニとともに同社を設立したデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロは、デザイン評価を行うモックアップ・モデルを、たった3か月で仕上げた。 このデザインは見た目だけではなくエンジニアからの評価も高く、さらにコストダウンにも貢献した。わずかにグラスエリアを数cm大きくする変更のみで、プロトタイプから量産モデルへ展開されたのだった。 パンダは、1981年のカー・オブ・ザ・イヤーで次点につけたほか、複数の自動車賞も受賞。ジウジアーロは、優れた工業デザインに与えられるイタリアのコンパッソ・ドーロ賞を獲得した。 1980年、パンダは126から流用した652ccの空冷直列2気筒エンジンを積む30と、127譲りの903ccの直列4気筒エンジンが搭載された45という2種類のパワートレインでスタートした。 1982年10月には5速MTに5本バーのグリルで印象を変えた45スーパーが登場。続く1983年には4×4が追加。1986年には、革新的なファイア・エンジンが搭載された。 1990年のフェイスリフトでは、セレクタと呼ばれたCVTも追加され、日本市場でもよく売れていた。初代パンダの豊富なバリエーションには、ディーゼルエンジンや、キャブレター代えてインジェクションを用いた1108ccの直列4気筒エンジンも含まれる。 絶え間ないアップデートと、巧妙なマーケティングが功を奏した初代パンダ。1980年から2003年9月5日に至るまで、延べ449万1000台もの台数が生産されたという。