つながり希薄化も息づく「助け合い」 日頃の人間関係が培う共助、都市部も地道に再構築を 備えあれ④互助力
「遠い親戚より近くの他人」ということわざがある。いつ起こるか分からない災害などの際、誰よりも頼りになるのは近所の人たちという意味だ。今では「共助」と呼ばれる地域での助け合いが、30年前の阪神大震災で多くの命を救った。 神戸市東灘区の荻野君子(82)は早朝、激しい揺れで2階が崩れ落ち、1階の居間で寝ていた夫とともに天井の下敷きとなった。体が抜けず、こたつの足を蹴った音で先に脱出した同居の息子に生存を知らせた。間もなく近所の住民6~7人を連れて来た。 「頭はどこ」「今助けてますから」。隣家に大工が住んでいたことも幸いした。天井がのこぎりで切断されるなどし、けがもなく2人は救助された。地震発生から7時間がたっていた。「言葉で言い表せないほどうれしかった。頼りになるのは『近くの他人』だと思った」と荻野は振り返る。 ■生き埋め救出は自助と共助が大多数 日本火災学会の報告書によると、阪神大震災で閉じ込め・生き埋め時に自力や家族に救出された人の割合は66・8%、隣人や友人らによる「共助」も30・7%を占めた。これに対し、消防や警察などによる「公助」は1・7%に過ぎない。 地方から都市部への人口移動、価値観の多様化などにより、共助の「源泉」となる地域のつながりは各地で年々薄くなっている。ただ、1年前に起きた能登半島地震でも共助は見られた。 800人余りが暮らす石川県能登町の鵜川(うかわ)地区では多数の家屋が倒壊し、生き埋めになる住民も出た。それでも迅速に安否確認を進め、生き埋めになった人がいると分かると、住民が協力して救出。地区内の住民全員が助かった。 現地の状況を調べた内閣府の政策統括官(防災担当)付企画官、西澤雅道によると、鵜川地区では平成23年の東日本大震災後、住民主体で津波ハザードマップを見直し、津波を想定した避難訓練も繰り返していた。 西澤は「地区で日頃培ってきた人間関係を生かし、訓練を継続していた。それが共助につながり、住民全員の命が救われる大きな要因になった」と指摘する。だが、各地でつながりの希薄化が進む中、こうした成果を発揮できる地域がどれほどあるのか。西澤は「個人的な見解だが、人間関係を再構築すれば、都市部でも可能なはずだ」とした。 ■詳細なルール決め共通認識を持つ