伊那谷楽園紀行(15)『究極超人あ~る』から始まったアニメ聖地巡礼の楽しみ
「今年もまた、バカな夏がやってきました」 2018年7月28日。飯田線田切駅には、100人を超える人々が詰めかけていた。 【連載】伊那谷楽園紀行 田切駅は長野県上伊那郡飯島町田切にある無人駅だ。飯島町の中心地は、ひとつ隣の飯島駅。賑わいもある飯島駅に比べると、普段の田切駅は閑散としている。かつては、酒屋を兼ねたよろず屋もあった。それも店を閉じた今、駅周辺にはコンビニもない。唯一あるのは、飲み物の自動販売機くらい。純然たるローカル線である飯田線の電車が、この駅に停まる列車の数はそこそこあるものの、1日の利用者は50人にもならない。 そんな駅に、この日は100人あまりが詰めかけていた。皆、思い思いの衣装でコスプレをして。ただコスプレをしているのではなく、参加者の多くは自転車に跨がっていた。見るからに速そうなスポーツタイプの自転車もあれば、ちょっとした買い物でも漕ぐのが大変そうな折りたたみ自転車も混じっていた。 ぼくも、そうした群衆の中の一人になっていた。その日は土曜日。週の初めくらいから、長野県の週末は荒れ模様だと天気予報は伝えていた。例年より少し早めの台風が、迷走しながら土曜日あたりに長野県を通過していくのではないかと。 幸いに直撃は避けられたものの、天気は決してよくはなかった。でも、参加を決めていた人は、天気を心配しながらも、この田切駅に駆けつけていた。 田切駅の前には、無人駅には似つかわしくない広場がある。正確には、駅前の広場ではなく隣接した聖徳寺の駐車場。七福神のひとつである福禄寿も祀られ、幕末には天狗党の一行も通り過ぎたという地域の名刹の駐車場で、人々はいまかいまかと一点を見つめていた。
その視線の先にあるのは、高さ2メートル弱のブルーシートに包まれたもの。集まっている人々は、今日、それを見るために田切駅にやってきたのだった。 そのブルーシートに包まれたもの。 「アニメ聖地巡礼発祥の地」という言葉を刻んだ記念碑の除幕を見るために……。 かつて、宗教用語だった「聖地巡礼」は、日本では、まったく別の意味の言葉として人口に膾炙している。マンガやアニメ作品などの舞台やモデルとなった土地を訪れることが「聖地巡礼」となっている。架空の物語であるマンガやアニメの舞台として描かれた土地を訪れ、作品の登場人物たちの空気を共有する。そんな楽しみ方が、盛んになったのは21世紀になってからのことである。とりわけ「聖地巡礼」が大きく注目されるようになったのは、2007年にアニメ化された『らき☆すた』の頃からである。その大ヒットを受けて、作品の舞台である埼玉県久喜市鷲宮や鷲宮神社には万を超える人々が訪れるようになった。 その人の数によって、それまで閑散としていた商店街は大いに賑わいを見せた。国内はもとより海外からも人が詰めかけて、地域の商店も潤う。その新たな経済効果は、あらゆる産業が注目するところとなった。マンガやアニメの舞台になった地域の特産品のパッケージをキャラクターのものにしたコラボ商品。観光振興への利用など。いつしか、全国各地で、その地域を舞台にした作品の画像を使ったポスターを見かけることも珍しくなくなった。 もちろん、そうした賑わいを見せる地域は、わずかである。いざ「うちの地域もアニメになった」と喜んでも肝心のアニメが人気が出ず、大失敗に終わる例も後を絶たない。そして、アニメの多くが1クール12話。すなわち、季節ごとに年4回入れ替わる中で、ファンの心は移ろいやすい。ひとつの作品の舞台として多少の観光客がやってきたとしても、それがいつまでも続くことはない。決して儲かるものではないという不都合な事実に目をつぶりながら続いているのが、今の「聖地巡礼」と呼ばれるものの実態といえるだろう。 ただ、算盤をはじくことを止めれば、かえって「聖地巡礼」の魅力は輝き出す。決して人気の出なかった作品であっても、熱烈なファンはいる。そうした人たちは、幾度も自分の愛する作品の「聖地」を訪れ、その土地に対する愛着を持っていく。本当に成功している「聖地」とは、あちこちに作品のポスターが掲げられたり、グッズを販売しているところではない。作品そのままの風景。なんの変哲もない日常を気に入り足を運ぶ人がいるところなのである。 そんな「聖地巡礼」のはじまりが、田切駅。なぜ、そんなことになったのかは、理由がある。