「一歩どころか半歩の差だった」KADOKAWA元会長が語る突然の逮捕と「踏みとどまった」虚偽の自白、「死地を脱した」日のケヴィン・コスナー
「自分の経歴にさえ、拇印を押しませんでした」
「刑事訴訟法では勾留期間は原則10日間であり、やむを得ない事由があるときは10日間の延長が認められます。でも、現実に特捜部に逮捕されたら、20日の勾留は当たり前。1日4時間として、80時間以上の取り調べを受けるわけです。その後も逮捕、再逮捕により、40日、60日と勾留されることもある。被疑者にすれば『いつ出られるのか』と不安になってくるし、検察官はその不安を巧みについてきます。 僕は一貫して汚職に関与していないことを主張しました。供述調書にもいっさい拇印を押さなかった。自分の経歴にさえ、拇印を押しませんでした。証拠らしい証拠もなく、無実の人間を逮捕した検察への強い怒り憤りがあったからです。同時に、拇印を押さないことで気持ちを奮い立たせていました。 起訴されたのは逮捕から20日後。そのときの検察官の顔はハッキリ覚えています。いわゆる検事顔とでもいうのか、ちょっと険のある、勝ち誇ったような顔でした。 拘置所に戻ると、看守にはこう言われました。
「検事が望む自白をしてもいいんじゃないか…」
“今後は、あなたを囚人として扱います” この日から200日以上の拘置所生活が続きました。 本来、日本の刑事裁判では、判決で有罪が確定するまでは、罪を犯してはいない人として扱う『無罪推定の原則』があります。ところが、看守は明らかに僕らを犯罪者として扱うわけです。 被疑者が入れられるのは広さ3畳の独居房。しかも、看守は名前ではなく、番号で呼びます(2024年4月から番号ではなく、名前で呼ばれるようになった)。こうして徐々に人間の尊厳を奪っていくのが『人質司法』です。 連日の長くて厳しい取り調べで、検事が望む自白をしてもいいんじゃないかという、心の叫びを聞いたことは何度もありました。なんとか虚偽の自白をせずに踏みとどまれたのは、一歩どころか半歩の差だったと思います。 半歩を踏みとどまらせた心の中の最後の砦は、自分が守り育てた会社への思いです。KADOKAWAの名誉を回復するとともに、ここで仕事をし、これからの時代を担っていく人たちが誇りを抱けるような会社にしなければならない。その使命感でした」 心臓に持病のある角川氏は拘置所内で何度も体調を崩して倒れ、車椅子の使用を余儀なくされた。一時は慶應病院に検査入院し、一過性意識消失、肺炎、薬剤性肝炎と診断されたこともあった。それでも保釈請求は認められず、再三にわたって却下された。「証拠隠滅や逃亡の恐れがある」というのが裁判所側の理由だった。