イエスの隠し子かヒンドゥー教の女神か、謎多きロマの守護聖人「サラ・ラ・カリ」とは
5月24日は祝祭、たくさんの巡礼者が南フランスのサント・マリー・ド・ラ・メール教会に詰めかける
ロマの人々が守護聖人として崇めるサラ・ラ・カリ。毎年5月になると多くの巡礼者が、サラがキリスト教徒の難民たちとともに上陸したとされる南フランスのサント・マリー・ド・ラ・メールの教会を訪れ、24日にクライマックスを迎える祝祭に参加する。イエスの隠し子や「黒い聖母」など、いくつもの伝説に彩られたロマの聖人とその信仰を紹介する。 ギャラリー:謎多きロマの守護聖人「サラ・ラ・カリ」 写真8点 謎に満ちた非公認の聖人サラは、さまざまな顔をもっている。キリスト教神学者にとっては、イエスの死後、フランスに逃れるマグダラのマリアたちの侍女を務めたエジプト人の「黒いサラ」だ。ダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』のファンたちは、サラはイエスの子であり、家父長制社会において身の安全を守るためにその存在を隠されていたと信じている。宗教史家はこの「黒い聖母」のことを、ヒンドゥー教の創造と破壊の女神であり、また獰猛な戦士であるカーリーの化身とみなしている。 一方、ロマの人々にとって、彼女は巡礼の対象である聖人「サラ・ラ・カリ」だ。世界では多くの人々が、ロマのことを「ジプシー」という蔑称で呼ぶ。その言葉は、定住地をもたない身勝手な放浪者、妖艶な占い師、盗品とともに姿を消す隊商といったイメージを彷彿とさせる。 戦争で荒廃したインドの故郷を11世紀に離れて以来、ロマは行く先々で邪魔者扱いされる移民となった。その後千年間にわたる暴力的な迫害の中で、彼らの守護聖人であるサラは、世界中に離散した1200万人以上のロマたちにとって希望とアイデンティティの源となってきた。 また毎年5月下旬には、サラ・ラ・カリは、故郷を追われたロマたちが目指すべき目的地となる。1万人を超えるロマたちが向かうのは、フラミンゴに埋め尽くされる沼地とピンク色の塩田に囲まれたフランス、カマルグ地方の小村、サント・マリー・ド・ラ・メールだ。サラがキリスト教徒の難民たちとともに上陸したとされるこの場所で1週間にわたって行われる祝祭は、サラをかたどった木像を地中海へと運ぶ行列でクライマックスを迎える。 「サラはカーリーや黒い聖女などの異なる伝説が混ざり合った存在です」と、米テキサス大学サンアントニオ校教授で、ラテンアメリカとヨーロッパの黒い聖女についての著作があるマルゴザータ・オレシュキェビッチ・ペラルバ氏は言う。「だれもが彼女の中に自分が必要とするものを見出すのです」