多摩モノレール箱根ケ崎延伸区間、幻の武州鉄道と似たルートだった
まず、吉祥寺駅から三鷹駅まで中央線に沿って進み、三鷹駅を出た後は北西に進路を取る。ここから玉川上水に沿って、西武国分寺線の鷹の台駅付近を通過する予定だったものと思われる。さらに西武拝島線(当時は西武上水線)の小川駅と東大和市駅の間をクロス。新青梅街道に突き当たると、今度は西へ進み、現・多摩都市モノレールの上北台駅に達する。 上北台駅から八高線の箱根ケ崎駅までは、さらに新青梅街道に沿って進むが、この区間が多摩都市モノレールの延伸予定線と重なるのである。武州鉄道はさらに青梅街道(新青梅街道と合流)に沿って青梅線の東青梅駅へと進む計画だった。付近には、鉄道ファンにとっておなじみの青梅鉄道公園があるが、現在、リニューアルのため休園中である。
ここから先は、いよいよ山岳地帯へと入っていく。さすがに秩父まで歩くわけにはいかず、車で行くしかない。カーナビの目的地には、飯能市の山中にある「鳥居観音」を設定する。この鳥居観音は、武州鉄道の建設計画と大いに関係がある。概略は以下の通りだ。 武州鉄道の発起人である滝嶋は、前述の通りスクラップと不動産事業で財を成したが、鉄道の建設にかかる莫大な費用は、一事業家の資本だけで賄えるものではない。しかし、滝嶋は人を懐柔するのに長けていたらしく、当時、埼玉銀行頭取だった平沼弥太郎に巧みに取り入った。 その頃、信仰心の厚い平沼は、私財を投じて郷里の名栗村に「鳥居観音」という寺院を建立している最中だった。そこへ滝嶋が現われ、50万円をポンと寄進し、「どんな立派な観音様をまつっても、お参りする人がいなければ『仏造って魂入れず』ではないですか。鉄道を敷きましょう」と話を持ちかけた。これに心を動かされた平沼が、出資を約束。もちろん、鉄道の敷設が郷里の発展につながるとも考えたのだろう。 いずれにせよ、埼玉銀行という資金的な裏付けができたことで、武州鉄道計画は実現性を帯びることとなった。