『虎に翼』梅子が「家族を捨てた」理由と、花江が「家族を支える」理由の意外な共通点
6月28日(金)第65回: 花江が目指す自分の幸せとは
はるのような完璧な家事を目指して疲弊していた花江に、「いい母なんてならなくていいと思う。自分が幸せじゃなきゃ、誰も幸せになんてできないのよ」と語りかける梅子。かつて花江ともっとも近い境遇で主婦をしていた梅子だからこそ、かけられる言葉だと思う。 本作の脚本は、家庭でケア労働に従事する女性を「戦わない女性」として否定したり、家父長制や家制度の「犠牲」として憐れんだりは決してしない。 むしろ、寅子のような外で働くバリキャリ女性だけでなく、家族を支えることを自分の喜びとする花江のような女性のことも置き去りにせず、ともに幸せを目指そうとするスタンスが素晴らしいと思う。 「花江が道男に恋してる疑惑」は、直人による父親譲りのとんだ勘違いだったが、花江の様子の変化を察知し、母ではなく個として「幸せをつかんでほしい」と願える直人は、聡明な子供だ。最後まで梅子に「母」という役割を押し付けることしかしなかった大庭家の息子たちとは対照的である。 また、寅子から汐見香子こと香淑におにぎりが届く場面は、香子が梅子の無事を知ると同時に、寅子と梅子にきちんと交流があることを、香子が一瞬で理解する秀逸な描写でもある。 おにぎりは、得てして男社会における女性の献身や後方支援、自己犠牲の象徴に使われることが多い。だが、よねや轟、香子のために梅子が握るおにぎりは、彼女の主体的な意思表示であり、自分らしくいられる行為でもあるというのがポイントだろう。きっと、彼女が大庭家で握っていたおにぎりに、そのような喜びや幸せはなかったに違いない。 これまで寅子が「モン・パパ」を歌う場面では、その背景に必ず怒りや悔しさが込められていた。今回は、花江を気遣ってくれていた直道が、寅子を褒めてくれていた優三が、改めてもういないのだというやるせなさがぶつけられた「モン・パパ」だったように思う。
福田 フクスケ(編集者・ライター)