『新宿野戦病院』宮藤官九郎が医療ドラマの定番を覆す 第1話から驚きの情報量の多さ
1月クールのTBS系ドラマ『不適切にもほどがある!』で、あらためてその技量の高さを証明してくれた宮藤官九郎が、フジテレビ系列の連続ドラマで脚本を手掛けるのは『ロケット・ボーイ』以来23年ぶりだという(もうそのタイトルだけで懐かしい)。要するに、“クドカン”が映像作品の脚本家として確固たる地位を築いてから初のフジテレビドラマである『新宿野戦病院』が7月3日にスタートした。 【写真】アメリカ軍医時代のヨウコ・ニシ・フリーマン(小池栄子) 物語の舞台は、新宿・歌舞伎町の隅の方にひっそりと佇む聖まごころ病院という寂れた病院。土地柄もあって何かとワケありな救急患者たちが次々と運ばれてくるのだが、あろうことか元外科医で“歌舞伎町の赤ひげ先生”(その呼び名が意味することについて気になった人は、ぜひ黒澤明の『赤ひげ』を観ていただきたい)と呼ばれた高峰院長(柄本明)が現場から退いたことで外科医が不在。病院を舞台にした一種の医療ドラマであることはタイトルからも一目瞭然だが、この時点で単なる医療ドラマではないと予感できよう。 院長の甥で、美容皮膚科医の亨(仲野太賀)をはじめとした医師たちが駄弁っているところに、救急患者の受け入れ要請の電話がかかってくる。外科医が不在だからと断ろうとするもうまくいかず、結局頭から血を流したホストの男性と、急性アルコール中毒の女性の処置を専門外の医師たちが行う羽目に。その頃、聖まごころ病院は赤字続きということもあり、院長の弟で亨の父・啓三(生瀬勝久)は病院を畳んで新たな事業を始めようと画策。院長が新しい外科医を見つけてくると宣言した矢先、急性アルコール中毒の女性、ヨウコ・ニシ・フリーマン(小池栄子)がアメリカの医師免許を持つ元軍医であると判明するのだ。 医療ドラマといえば、病院内の群像劇を中心として、毎話登場する何らかの病を抱えた患者の処置にあたるエピソードを積み重ねていきながら、各々の登場人物のバックグラウンドやらを劇的に描写して連続性をもたせていくのが定番であろう。本作においても、キャラクター性に富んだ医師や看護師らの群像が中心にあることは明白であり、そこに投入されるヨウコというエキセントリックなキャラクターが一波乱巻き起こしそうな気配をただよわせる。また、彼女が日本に来た理由――歌舞伎町に住むムハマドという男性を探すこと――が物語を進めていくフックとして機能しそうである。 それにつけてもあらゆる形式的なパターンを全部吹き飛ばすほど、このドラマの情報量の多さには驚かされる。序盤からずっと会話が途切れることもなければ、登場人物たちもひたすら画面のなかで動き続けているではないか。しかもそこに、病院の存続をめぐる兄弟間の争いから無免許での医療行為という要素。冒頭シーンから歌舞伎町の夜の混沌とした景色がふんだんにインサートされ、男性医師による女性患者へのケアやジェンダー、不法移民に生活保護、闇バイトに、公園のそばに立つ少女たちの姿など、さまざまな社会的要素が次々と織り込まれていく。 もちろんこれらを第1話の導入段階で一気に見せることによって、歌舞伎町という屈指の歓楽街が現在置かれている状況をたたみかけるように提示するねらいがあるのだろう。と同時に、突然響き渡る銃声は単なる波乱の種のサスペンス要素としてではなく、歌舞伎町で生き続ける元暴力団の構成員の老人が起こした事件という点において、歌舞伎町がこの十数年余りの期間で急激に変化したことをあらわす。極めつきはエンドクレジットで見られる過去の歌舞伎町の光景。“クドカン”ならば、“ただ歌舞伎町を舞台にした”ドラマにはしないはずだ。
久保田和馬