アタマの良い人が実践している、「論理的な思考」を飛躍的に高めるための「ヤバすぎる極意」
先行きが見えない「答えのない時代」を生きる私たちにとって、「自分の頭で考える力」は必須です。でも、何をどのように考えれば良いのか、どのように勉強すれば良いのか、具体的な方法がわからない人も多いでしょう。 【写真】アタマの良い人が実践、「論理的な思考」を飛躍的に高めるための「極意」 気鋭の哲学者・山野弘樹氏が、自分の頭で考えて学びを深めるための方法=「独学の思考法」をわかりやすく解説します。 ※本記事は山野弘樹『独学の思考法』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
「問い」と「答え」の循環運動──ロジックを繋ぐ
例えば、「これからの時代において求められている教育とは何か?」というテーマで論文(ないし何らかのレポート)を書くとしましょう。 このテーマでアーギュメントを組む場合、全体を通して必要な作業は、「一体今の教育の何が問題なのか?」ということをはっきりさせることです。そこでまずは、「昨今の時代状況において求められている能力と、旧来型の教育で伸ばすことができる能力との間に乖離が生じている」と言われている現状をイントロダクション(問題提起)で書かねばなりません(これが「序論」です)。 そして、こうした問題を打破するための有効な解決策を提案できるなら、それが主張(「結論」)を構成することになります。こうした序論から結論を導き出すためのプロセスが、「問いと答えの循環」(「本論」の流れ)です。 初めに、「今はどのような時代であると言われているのか?」(メインの問い1)ということを論じなければなりません(「第1節」)。例えば「多様性が尊重されている時代」と表現することもできますし、複雑さの著しい「VUCAブーカ時代(予測困難な時代)」と表現することもできるでしょう(メインの問い1への答え)。 当然その中で、「多様性という言葉でどのような事態が示されているのか?」というサブの問いや、「VUCAという言葉はどういう文脈で登場してきたのか?」というサブの問いに対しても答えを与える必要があるでしょう。こうしたひとまとまりのロジックを構成するのが、まず「第1節」の役割です。 次に必要なのが、「それでは、今の学校教育は、こうした時代状況に対応できていると言えるのだろうか?」(メインの問い2)という問いです。 この問いを、第1節の末尾、ないしは第2節の冒頭に置きます。そうすることで、スムーズに第1節のロジックから第2節のロジックへと論を展開することができます。適切な疑問文でロジックを結合することで、話の流れも自然になりますし、読み手が「確かに、その問題はどう考えたらいいんだろう?」と興味を持ってくれる確率が高まります。 第2節が始まりましたら、メインの問い2に答えるための論述を展開します。その中で、「日本の学校教育の特質はどのようなものだろうか?」というサブの問いにも答えなければなりません。そして(おそらくですが)、論の展開は、「生徒を教室に詰め込む一斉授業においては画一的な教育を行うことしかできず、複雑な時代に対応するための柔軟な思考能力を養うことができない」(メインの問い2への答え)といった類いのものになると思います。ここまでが第2節です。