アタマの良い人が実践している、「論理的な思考」を飛躍的に高めるための「ヤバすぎる極意」
どのように論を展開すればよいか?
それでは、第2節から第3節に移行するためには、どうすれば良いでしょうか? 皆さまも「ここから論をさらに展開するためにはどうすれば良いか?」ということを、考えてみてください。そして、もしも論の方向性で迷ってしまったら、常に序論の問い(最大の問題提起)に立ち返るということを心掛けてください。 最初の問題提起が適切なものであれば、本論を完成させるために必要な問いは自ずと浮かびます。反対に、もしも浮かばないのであれば、最初の問いが曖昧であったり、大雑把であったりした可能性があります。そうした場合は、出発点となる問題提起を別の問いの形に変えてみるようにしましょう。 今回の具体例においては、もともと「これからの時代において求められている教育とは何か?」ということが全体を貫く問題提起として設定されていました。そして現状、(1)今は複雑さの著しい時代状況である(第1節のまとめ)、(2)旧来型の学校教育では、こうした時代状況に対応することができていない(第2節のまとめ)、という2点が明らかになっています。 ここまで駒を進めたならば、次に要求されるのは、「では、旧来型の学校教育を克服するような新しい学習メソッドとはどのようなものだろうか?」(メインの問い3)という問いです。そして、この問いを第2節の末尾(ないし第3節の冒頭)に置き、その問いへの答えを第3節において書いていきます。 第3節においては、おおよそ「確実な答えのない時代において、自ら問題を発見できる思考力を養う学習メソッドが求められている」(メインの問い3への答え)という流れで論が構成されると思われます。ここで、「自ら問題を発見するための訓練は、どのようにしてなされるのか?」、「そのとき、哲学的な考え方は役に立つのか?」などのサブの問いに答えることもあるでしょう。いずれにせよ、こうした論述を展開することによって、序論の問題提起の大部分に答えることができていると言えます。 ですが、本論が完成されるまでは、「あともう一歩」という感じです。なぜなら、「では、そうした思考力を養う新しい学習メソッドは、具体的にどのように(どこで)教えられるのか?」(メインの問い4)という実現可能性に関する問いがまだ残っているからです。この問いが第3節の末尾(ないし第4節の冒頭)に置かれ、そしてその問いへの答えが第4節を構成することになります。 ここで少なくとも、2つの選択肢が浮上してくることでしょう。すなわち、新たな学習メソッドを学校教育の内部へ導入することを目指す(A案)のか、それとも学校教育の外部においてそのメソッドを制度化することを目指す(B案)のかという2択です。この選択肢こそ「アーギュメントの分岐点」です。この2択の中で、より実現可能性の高い方を論述によって導き出す必要があります。