「明日は目覚めないかもしれない」若き天才、オードリー・タンの仕事観をつくった死と隣り合わせの幼少期
■思考の道筋をたどる良い方法は プログラムを書くのがそこまで速くない新人でも、それぞれ別の国に住んでいても、技術を共有しながら学び合い、みんなで協力して研究開発をすれば、一人でやるよりもはるかに大きな力となる。特に印象深かったのは、ソフトウェア設計者の章亦春(ジャン・イーチュン)だ。 これまでパール6の開発に携わったことがなかった彼は、オードリーがネット上に発表した文章をすべて手書きで書き写した。つまり、思考の道筋を最初からたどったということだ。 「あれはとても効果的な方法でした。その後、彼は世界的なソフトウェア設計者になりました」とオードリーは語る。 ---------- オードリー・タン(おーどりー・たん) 元台湾デジタル担当政務委員(閣僚) 1981年台湾台北市生まれ。幼い頃からコンピュータに興味を示し、12歳でPerlを学び始める。15歳で中学校を中退、プログラマーとしてスタートアップ企業数社を設立。2005年、トランスジェンダーであることを公表し、女性への性別移行を始める(現在は「無性別」)。米アップルのデジタル顧問などを経て、2016年10月より史上最年少で台湾行政院に入閣、無任所閣僚の政務委員(デジタル担当)に登用され、部門を超えて行政や政治のデジタル化を主導する役割を担っている。 ----------
元台湾デジタル担当政務委員(閣僚) オードリー・タン