涙を笑いに変え生きる 阪神・淡路大震災で母を亡くした落語家の桂あやめさんに聞きました
神戸市兵庫区出身の落語家、桂あやめさん(60)=大阪市在住=は30年前の阪神・淡路大震災で最愛の母・入谷玲子さん=当時(63)=を失いました。大切な人を突然亡くした悲しみは、今もふとした瞬間にこみ上げるそうです。涙を笑いに変え、歩み続ける日々を語ってもらいました。(聞き手・岩崎昂志) 【写真】落語家の桂あやめさん。神戸新開地・喜楽館の前で -震災の日は? 「当時は大阪に住んでいて、前日(1月16日)夜に母と電話でしゃべってました。母は晩酌して上機嫌。『来月にカニ食べに行こう』『それ、ええなあ。調べとくわ』みたいな話をして。その後、友人とテレビの録画を見ていた17日朝方、大きな横揺れが来ました」 「両親が暮らす神戸の実家に電話しても通じません。心配しながら仕事に向かう途中で電話が鳴りました。親戚から『お母さんあかんかったみたい』と。あかんかったって、どういうこと? 仕事を断って情報収集していたら、テレビで亡くなった人の名前が流れ、そこに母親の名前が。翌日にたどりついた神戸の公民館で、遺体は毛布にくるまっていました。ついさっきまで、普通におしゃべりしていたはずなのに」 -つらい体験です。 「私は意外と冷静でした。その3年前に自宅に強盗が入って殺されかけた経験があり、『死』は日常的に訪れるものだという感覚があったんです。震災で実家は全壊し、父を連れて大阪に戻る必要もありました。とにかく日常生活に戻ろうとしました」 「ただ、父親の気持ちは分かってなかったなと今は思います。伴侶を亡くし、神戸が大好きだった父。大阪でアルコールばかり、料理酒まで飲んで。父を怒りましたが、全てを失った気分でつらかったんだろうな。実は私も直後からよく母の夢を見ました。目が覚めると喪失感でいっぱいで、わんわんと号泣。その後も『母の日セール』とかを見ると、買って渡す人がいない寂しさがこみ上げるようになりました」 -そんな中で、落語の仕事に向き合ってきました。 「1995年6月、震災で休演していた神戸・元町の寄席『もとまち寄席・恋雅亭』が再開し、出演しました。会場には待ちわびたお客さんが入りきれないほどぎっしり。『はよ笑わしてくれ』って顔で待ってて、避難所や炊き出しをネタにするとどっと笑いが起こりました。被災者はかわいそうな存在じゃない。笑って前を向く。そんな力を感じました。この仕事をしていて良かったと思ったし、私自身も楽になりました。つらい出来事でも笑いに変えて受け入れようという、落語の世界のありがたさでもありますよね」 -38歳で出産し、家族が増えました。 「母を亡くした寂しさを抱える中で大きな喜びでした。高座でも赤ちゃんを抱いて紹介したんですよ。子育ては大変でしたが、母親が私に歌ってくれた歌や言葉を、私も自然と子どもに伝えてきました。娘が成長すると、性格が似ている部分もあって『この子の中にも母が生きている』と感じるんです。つながっているんだな、と思うとうれしさがあります」 「『姉様キングス』という音曲漫才をやっていますが、私も歌好きだった両親をすごく受け継いでいる気がします。神戸の復興住宅に移り住んだ父親も病気で亡くなりましたが、昔からロシア民謡好きで実家ではいつも音楽が流れていました。いま仕事で歌っているのも、きっとそんな記憶があるから。家族を亡くした喪失感はあるんだけど、生きてれば生きてるほど、母親や父親の存在を感じることがあります」 -2018年に開館した神戸新開地・喜楽館(神戸市兵庫区)でも活動しています。 「実は震災前は、神戸へのふるさと意識は薄かったんですよ。でも、実家が全壊して帰る場所がなくなってから、むしろ思いが強くなって。神戸の人はすごく素直に笑ってくれるのがいい。面白い飲み屋も多いから、私が落語家を連れて行って新開地ファンを増やしてます。家はなくなったけどホームができた感じがします」 「震災30年となる今年は、喜楽館を中心にした『新開地落語祭り』も計画しています。周囲の店舗とも協力して落語会を開き、街中で落語があふれるイベントにしたい。ぜひ楽しみにしてください」 -「1・17」が近づきます。 「毎年、午前5時46分は手を合わせます。自宅では写真を並べているだけですが、テレビをつけると神戸・東遊園地でろうそくがともっていて、みんなで祈ることができるのはありがたいなと思います。1・17だけじゃなく、母の日や誕生日にはさみしさがこみ上げます。両親の夢は今でも見ます。忘れることはないけれど、自分らしく笑いながら、日常を繰り返していきます」 【かつら・あやめ】1964年、神戸市兵庫区出身。82年、上方落語の5代目桂文枝に入門。身近な女性を題材にした創作落語で知られ、文化庁芸術祭賞演芸部門優秀賞など受賞多数。音曲漫才「姉様キングス」、落語家によるなりきり宝塚レビュー「花詩歌(はなしか)タカラヅカ」などの活動も行っている。