【COMPLEXが能登半島支援のため13年ぶりに復活】10億円寄付を実現させた吉川晃司&布袋寅泰の40年来の友情 「リップサービスではない」新曲制作も示唆
「これも心苦しかったんだ」
COMPLEXが結成されたのは1988年。布袋は『BOOWY』(『BOOWY』の3文字目は、ストローク符号付きのO)の解散でソロになった直後で、吉川もまた大手事務所から独立し、アイドル歌手からの脱却を図っていた頃だった。 「吉川さんにとってBOOWYは20代の頃からお気に入りのバンド。1985年頃から数々の作品で共演し、氷室京介さん(64才)とのツインボーカルでBOOWYのアルバムに参加したこともあります。特に布袋さんとは40年来の大親友で、一時は同じマンションに住み、お互いの部屋を行き来したり、夜通し飲み明かす“兄弟分”のような関係だったといいます」(芸能関係者) 意気投合した2人は「いつか一緒にバンドをやろう」と語り合い、COMPLEXが結成するまでに時間はかからなかった。 「共に身長180cm以上の長身でビジュアルが派手なだけでなく、楽曲も本格志向。吉川さんが作詞し、作曲を布袋さんが手掛けた『BE MY BABY』は爆発的なヒットを記録し、その後も2人のユニットはヒットチャートを独占しました」(前出・レコード会社関係者) ロックファンの熱狂的な支持を受けたCOMPLEXは短期間に3枚のアルバムを発表したが、最強コンビといわれた2人の蜜月関係は長くは続かなかった。 「2人とも気性の荒い性格で、ユニットが目指す方向性や音楽性の違いでしょっちゅうつかみ合いのけんかをしていたといいます。ステージでも互いに目を合わせないほど険悪になり、ファンの間でも不仲説がささやかれていました」(前出・芸能関係者) 1990年の活動休止後、布袋はロンドンに旅立ち、吉川はソロ活動をスタート。その後、2人が公の場で交わることはなかった。 「布袋さんは吉川さんに『一緒にやんなかったら、ずっと友達で毎晩飲んでたかもしんねえな』と残念そうに話していたといいます。互いのライブに花を贈り、時々は一緒に飲むこともあったようですが、20年以上、再結成の話が具体的に出たことはなかったそうです」(前出・レコード会社関係者) ファンにも2人の複雑な関係が知られていたからこそ、2011年の復活ライブは熱狂をもって受け入れられた。さらに、今回の再々結成ライブではCOMPLEXとして“新曲”を出す可能性も示唆された。 「布袋さんがMCで『吉川さん、そろそろ新曲を作りませんか』と語り掛け、吉川さんも『おれも心苦しかったんだ』と応じたのです。活動期間が短いためセットリストがいつも同じようになってしまうことが2人とも気がかりだったようです。布袋さんは自身のSNSでも“リップサービスではない”と、念を押していました」(前出・芸能関係者) 布袋は吉川が現在行っているデビュー40周年ツアーへの“参戦”も予告。復興支援以外の場面での活動再開も暗示している。2人の伝説はまだまだ続きそうだ。 ※女性セブン2024年12月19日号