読んでいる本の傾向からわかる「いまの中高生」の「読者としての3大ニーズ」
山田悠介の完全退場と中高生におけるデスゲーム人気の終焉?
中高生の好む読書傾向に関しては、筆者は以下のように整理している。 読者の3大ニーズとしては「感情を揺さぶる」「読む前から得られる感情がわかる」「10代の不満や人に言えない悩み、本音に寄り添う」である。 これを効率的に満たす「デスゲーム、サバイバルもの」「余命」「自意識+どんでん返し+真情爆発」「子供が大人に勝つ」「コメディ・ユーモアミステリー」の5つの型(パターン)の物語に人気が集中する、と(詳しくは拙著『「若者の読書離れ」というウソ』参照)。 こちらも大きくは傾向としては変わっていない。 ただ、今年はついに山田悠介作品がひとつもなくなった。2012年の学校読書調査では中高生に好きな作家を訪ねたところ、山田悠介が東野圭吾にダブルスコアを付けて圧倒的なトップ人気だったのだが、近年はギリギリ1作品入るくらいの状態が続いていた。東野圭吾は今も『ガリレオ』『加賀恭一郎』『クスノキの番人』『マスカレード』と4シリーズも中高生の読んだ本上位に入っているのと対照的に、山田悠介は刊行ペースの減退とともに存在感を失っていった。 山田悠介と金沢伸明『王様ゲーム』は2000年代から2010年代のデスゲーム人気を象徴する存在だったが、どちらも姿を消した。 2010年代後半以降、デスゲームやサバイバルものは小学生向けの児童文庫に下りてきており(といっても児童文庫では残虐なシーンはなく、ゲームの敗者の生死は曖昧にされるか、「死ぬ寸前で助かった」「実は生きていた」などの展開が多い)、2024年も集英社みらい文庫の大久保開『ラストサバイバル』、講談社青い鳥文庫の甘雪こおり『人狼サバイバル』、角川つばさ文庫の鶴田法男、佐東みどり『恐怖コレクター』が小学5、6年生男女の上位に入っている。児童文庫のデスゲーム、サバイバルものは中2くらいまで読まれることもめずらしくない(デスゲームに限らず読者の側には児童=小学生、生徒=中高生、という明確な区分けがない)。 ところが2024年は中高生向けでは児童文庫作品も含めて「デスゲーム」はほぼなくなった。強いて言えば川原礫『ソードアート・オンライン』が中2男子に残っているくらいで(『SAO』は2巻目以降は基本的には「ゲーム内の死=現実の死」のデスゲームではなくなるが)、ほかはサバイバル要素がある作品としてもサッカーマンガ『ブルーロック』のノベライズが中1男女、クラス対抗戦のサバイバルものと言える衣笠彰梧『ようこそ実力至上主義の教室へ』が高1男子、生死をかけて病院からの脱出をめざす知念実希人『病棟シリーズ』が高2・高3女子に入っているくらいだ。このジャンルの人気は中高生では減退傾向にある。 その理由を推察するのはなかなか難しい。物理的な暴力表現、殺人や死の表現が敬遠されているとするなら東野圭吾や『名探偵コナン』ノベライズなどのミステリー、あるいは主人公が何度も死に戻り(ループ)する長月達平『Re:ゼロから始める異世界生活』やじん『カゲロウデイズ』が変わらず人気なことに説明がつかない。心理的なエグさで言えば湊かなえ『告白』『母性』などのほうがよほど大抵のデスゲームものよりもハードで、しかし湊かなえも変わらず人気だ。山田悠介的がデスゲームはわかりやすいホラー枠、こわいもの見たさ枠としての受容が強かったのだとしたら、雨穴『変な家』『変な絵』に代替されたと言えるかもしれない。 筆者はデスゲームや余命など中高生に支持される物語の共通点として、終盤、生死をかけた極限状況のなかで恋人や親友、家族に対してそれまで秘めていた本心、本音を吐露し合う展開が用意されている点に着目している。登場人物たちは「死を通じて、生を見つめ直す」、ひるがえって読者もまた、死を前にしてそれまで踏み出せなかったアクションを起こすキャラクターたちを通して、自らの進路や人間関係についても本当はどうしたいのかを問い直すきっかけとして受けとっていると思われる。つまりクライマックスにキャラクター同士がエモく秘めた想いと激情をぶつけ合う展開があれば必ずしもデスゲーム、サバイバルである必要はない。 筆者としては中高生でデスゲーム人気が減退したこととともに、昨年から引きつづき『人狼サバイバル』が小学生上位に入っていることにも注目している。デスゲームものでは最後まで生き残るか主催者に勝利した参加者には願いを叶えられるという設定のものが多いが、この作品は巻が進むと、育児放棄されて育った子どもが両親に復讐するために参加するとか、この世に戦争があるのは人間に負の感情があるからなので常に多幸感を覚えるエンドルフィンが出続けるように全人類の脳を改造するのが目的で参加する子どもなど、ハードコアな設定のキャラクターが登場し、社会問題についても考えさせるような内容になっている(私は『人サバ』のことを「児童文庫界の伊藤計劃」と呼んでいる)。小学校高学年がその部分にとくに反応して人気になっているとまでは思わないが、とはいえデスゲーム、人狼ものというキャッチーな器を使ってすごいことをやっている作品もあり、それが読まれている。 しばしば「日本で人気の子ども向けの本やYA(ヤングアダルト)は、欧米の人気作品とは違って貧困や差別、気候変動やジェンダー、セクシュアリティなどにまつわる社会問題を扱っていない」と批判されているが、なかには『人サバ』のような作品もある(もちろん、大半の小中高生は基本的にむずかしいものを本に求めていないことは見誤ってはいけないが)。 本稿では「なぜそれが人気なのか」「なぜ変化が起きているのか」まではそれほど掘り下げて考察していない。本稿の読者それぞれに見解や仮設を立てて考えてみてもらえればと思う。 また、なにより、子どもの読書に大人が文句や注文をつけるまえに、実際に自分でも子どもが読んでいるものを読み、子どもの目線や感覚を多少なりとも想像してから、コミュニケーションに臨んでほしいと思う。
飯田 一史(ライター)