<飛躍の春に>20センバツ・倉敷商 OBからのエール/2 「勝負強さ」高く評価 長谷川登さん(68) /岡山
「不利な状況をはねのける、ここ一番の勝負強さがある」。1973年から33年間に渡って監督を務めて倉敷商野球部の礎を築いた長谷川登さん(68)は、8年ぶりのセンバツ出場を決めた現在のチームをそう評する。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 66年に入学し、3年時には主将を務めた。社会人野球を目指していた大学3年のころ、当時の倉敷商の野球部長に「教員になって監督を務めないか」と声をかけられた。教職課程を履修しておらず悩んだが「母校に恩返しできるなら」と心を決め、卒業後、母校で実習助手を務めながら、通信教育で教員免許を取得した。 監督として目指したのは、勝利にこだわる野球。「そう簡単に打てるものではない」という考えから守備の強化を徹底し、「いかにミスをせず勝ち切るか」をたたき込んできた。現在も部室の壁に書かれている「白球は正直だ」という言葉も、長谷川さんの教え。「実は試合前にはもう勝負は決まっていて、ひたむきに野球に向き合った人にはそれなりの結果が出る。手抜きしていたらここぞの場面でミスが出る」と練習から妥協を許さなかった。 就任6年目の79年夏に初めて甲子園へ。「あのとき踏んだ土の感触は一生忘れない」と当時の喜びを振り返る。2005年の退任までに春夏計7回の甲子園に導き、数々の教え子を輩出した。 現在、チームの指揮を執る梶山和洋監督(32)もその1人。長谷川さんが監督を務めた最後の年の主将だった。「一番真剣に野球に取り組んでいた」と長谷川さん。夏の岡山大会は3回戦で敗退したが、その試合で梶山監督は本塁打を放ち、長谷川さんは最後のミーティングで「誰よりバットを振った梶山が最後の試合で『白球は正直だ』を証明してくれた」とたたえたという。 恩師を最後の甲子園に導けなかった思いを背負って母校に戻った梶山監督は、就任直後の昨秋に中国大会初優勝を果たしてセンバツ出場を決めた。長谷川さんは「今はまだ甘い顔を見せられない」と本人の前では決して言葉にしないが、「何か質問すると、梶山はこちらが思う以上の答えを返してくる。大したもの」と目を細める。 中国大会では、延長戦を2度制するなど粘り強さが目立った。「なんだか勝てる気がする。そんな期待を持たせてくれる」と後輩たちの活躍を楽しみにしている。【松室花実】