本間朋晃&タイガーマスク、若手コンビを撃破!タイガーマスクが小林邦昭さんに追悼のマイクスピーチ
「小林さんの魂を引き継いだ新日本プロレスのレスラーが、ますます熱い戦いをします!小林さん、見ていてください!」」
新日本プロレスは9月11日 (水)、宮城・仙台サンプラザホールにて『Road to DESTRUCTION』第4戦を開催した。 【動画】タイガーマスクが村島にタイガースープレックスホールドを炸裂 『Road to DESTRUCTION』 日時:2024年9月11日 (水) 17:00開場18:30開始 会場:宮城・仙台サンプラザホール 観衆:1,126人 第1試合では本間朋晃&タイガーマスクのベテランタッグが、若獅子である嘉藤匠馬と村島克哉のコンビを迎え撃った。 試合開始早々、勢いに乗ったヤングライオンタッグはベテランを翻弄。特に村島は本間に対し強烈な攻撃を見せ、場内を沸かせた。 しかし、経験豊富な本間とタイガーはその猛攻を冷静にしのぎ、徐々に試合の流れを掌握。終盤にはタイガーが嘉藤をタイガースープレックスで沈め、ベテランタッグの勝利を決めた。 試合後、タイガーマスクは天国にいる小林邦昭さんへ向けて、次のように語った。 「初代タイガーの佐山さんに連絡した時に、佐山さん泣いてました。やはりライバルがいなくなったという部分では、非常に寂しいと思ってます。しかし、小林さんの魂を引き継いだ新日本プロレスのレスラーが、ますます熱い戦いをします!皆さん、応援してください!小林さん、見ていてください!」 この言葉には、場内から温かい拍手が送られた。 タイガーは試合後のバックステージでも、小林氏との深い絆を語った。試合後に聞いた訃報に衝撃を受けたタイガーは、すぐに初代タイガーマスクの佐山聡氏へ連絡したという。「先生が涙声で、『もっと話をしたかった』と言われ、心が締めつけられました」と感慨深く振り返る。小林氏との思い出に浸る中で、「佐山さんと同じように、小林さんも僕の師匠です」とタイガーは述べ、小林氏の教えを今後も胸に刻み続ける決意を示した。 また、本間朋晃も試合後、かつて小林氏との間で交わした約束に触れた。「小林さんに『もっとゴツくなれ』と言われたから、俺は諦めずにもっと上を目指す」と強い決意を示し、試合での勝利が小林氏への恩返しであることを誓った。 一方、敗北を喫した村島と嘉藤も、小林氏に対する敬意を隠さなかった。村島は、練習生時代から小林氏に多大な影響を受けたと語り、「もっと強くなり、新日本プロレスの未来が明るいことを証明する」と涙ながらに述べた。また、嘉藤は入門当初から小林氏と共に過ごした思い出を語り、「小林さんに認められるようなプロレスラーになる」と深々と一礼した。 この試合は、単なる勝敗を超え、亡き小林邦昭氏への敬意と感謝を示す舞台となった。新日本プロレスの選手たちが、これからも小林氏の教えを受け継ぎ、さらなる高みを目指す姿が、この日の仙台サンプラザホールには確かに刻まれた。 <試合結果> ▼第1試合 20分1本勝負 タイガーマスク 〇 本間朋晃 vs 村島克哉 × 嘉藤匠馬 7分35秒 タイガースープレックスホールド ■試合後バックステージコメント 本間「嘉藤と村島、す~げえ勢いあって、いいね! でもさ、俺とタイガーさん、ベテラン、特に俺。負けてるわけにいかねえんだよ。何でかって? それはよぉ、小林(邦昭)さんと、生前、約束したんだよ。『本間、まだまだゴツくして、もっともっと頑張れ』と。俺はよぉ、ゴツくして、もっと上目指すんだ。ただ、小林さん、ゴツいレスラーが好き。俺、ちょっと絞った時、あんまりいい顔されなかったから、もっともっとゴツくなってみせる。小林さん、見ててください。俺、諦めないですから」 タイガー「僕は一昨日、小林さんの訃報を試合後に聞きました。ホントにショックで。小林さんが闘病されてたのも知ってはいたんですけども、電話をしてもやはり出られなかった。『ああ、相当悪いのか』、それとも小林さんらしいのか、分からなかったですけども、亡くなられたということで連絡を受けて、すぐに師匠の佐山(聡)さんに連絡を入れました。『先生、残念なことに、小林さんが亡くなられました』と。その時に、10秒間ぐらい、何の返事もなかったです。僕は電話が切れたのかと思ったんです。そしたら、先生が少し涙声で『そうか……。3日前に電話をしたんだけど、出なかった』と。『もっともっと話をしたかった』と。いつも小林さんには道場で、佐山さんとの兄弟のような仲の良さの話を聞いてました。そして、タイガーマスク時代の話、『どうしても佐山には勝ちたかった。でも、一枚も二枚も佐山の方が上だった』ということを、いっつも言ってました。でも、小林さんの中で、佐山さんとの闘いというものは本当に宝であって、『本当にプロレスラーの中で一番よかった』と、いつも言ってました。そして、皆さんは知らないと思うんですけど、僕がタイガーマスクになる前から、小林さんはタイガージムに来てまして、すごく僕を気にかけてくれて。タイガーマスクになるということがわかった時は、『すぐに新日本に上げたい』ということを言ってくれて、いろいろ新日本と話をしてたらしいんですけども、なかなかそれが実現しなかったんですけども。いつも電話もかかってきて、『こういう練習をしろ』『ああいう練習をしろ』といつも言ってくれて、本当に気にかけてくれて、新日本に来た時も笑顔で喜んでくれて、その顔をいまだに忘れないです。僕は朝いつも、だいたい一番に道場に練習に行くんですけど、もう小林さんは来ていて、スクワットをやってウェイトをやって、『小林さん、いつも凄いコンディションですね!』と言うと、『凄いだろ!』っていつも腕をこう(※力こぶを作るポーズ)やるんですけどね、ホントにガンを何度もやられた人とは思えなかったです。だから僕は思ってました。『小林さんってのは、ガンで死なないんだな』って。絶対ガンで死なない人だなって。こういうテンションの人、気持ちを持ってる人、常に前向きな人っていうのは、絶対ガンにならないなって、思ってました。しかし、本当に悔しいですね。新たなガンが、やはり小林さんを蝕んでいたというかね、本当に悔しいです。ガンが憎いですね。小林さんほど明るく、まあ言い方は悪いですけど、ちょっといい加減で、冗談が面白くて、話を10倍、20倍にするところがあったんですけども、それを聞いてるだけでホントに楽しくて、いろんな話を思い出してきます。まだ道場のね、いつも小林さんが座ってたところにいるんじゃないかなって、僕は思います。四十九日までは、魂は残ってるというので、絶っ対に小林さんは道場で、あのいつもの場所に座って練習をしてると思ってます。そしてまた、小林さんは常々、『タイガーマスクは強くなきゃいけない、勝たなきゃいけない』って、いつも言ってました。『俺も、佐山には一度も勝てなかった。だからお前も、いくつになったとしても年齢は関係ない。絶対にタイガーマスクというものを忘れないで試合をして、頑張れ!』ということをいつも言ってくれたので、ホントに僕は佐山さんと同じように師匠だと思ってます。本当に小林さんにはありがとうございましたと言いたいし、まだまだ小林さんは絶対天国で見てますからね。本当に小林さんが育てた若手はどんどん良くなってるし、新日本プロレスは、小林さん、大丈夫です! でも、天国で猪木さんと一緒に見ててください。本当にありがとうございました。そして今日はタイガースープレックスで勝てて、小林さんに見せられました。『小林さん、俺もタイガースープレックスで小林さんをフォールしたかったです』と」 村島「やっぱり、同じ本隊の先輩たちは強い、ホントに強い。もっともっと頑張んなきゃいけない、そう思いました。そして、自分は道場で小林さんに、練習生で入った時から、とてつもなくお世話になりました。最初、聞いた時はビックリして、本当に信じられなかったですけど、(※涙目で)しっかり、小林さんが必死になって作ってきた新日本プロレス、自分ももっともっと強くなって、亡くなった小林さんに、『新日本プロレスの未来はまだまだ明るい』と言えるように、もっともっと練習して、強くなります。ありがとうございました」 嘉藤「2022年の冬か。俺が受けた入門テストの時に、棚橋さんと、田口さんと、“あの人”が審査員としていらっしゃって。道場に入って、合同練習が始まる前、毎朝、6時過ぎから俺が道場でウェイトトレーニングをしてた時に、“あの人”も朝早くから一緒にいらっしゃって、2人で一緒にトレーニングをさせていただいて。で、デビューして試合から帰ってきたら、“あの人”が焼いてくださったステーキがあって。本当に、いい思い出ばっかりです。必ず、“あの人”に認めていただけるようなプロレスラーになります。小林邦昭さん、ありがとうございました(※深々と一礼)」 <写真提供:新日本プロレス>
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