“最近、箱根で外さない大学”法政の強さ 指導は「自分で考えさせる」、東洋の強化+帝京の育成を融合
「自分で考える」チーム運営で監督が果たす役割とは
坪田監督がいう「自分で考える」というのは、練習を含めてすべてを自分で組み立てて、生活していくわけではない。練習のスケジュールは監督が出し、メニューなどについても説明がある。 ――練習についての判断も自分で選択するのですか。 「うちは設定タイムを分け、その中でその日の体調やその先の目標に合わせて自分で決めさせています。高校時代からタイムがある子は、どんどんタイムを上げていき、本数も多くやろうとするんですが、そうするとコンディションが落ちたり、怪我をしたりします。そこで1回立ち止まり、なぜそうなったのかという答え合わせを早くできる子は伸びていきますし、箱根にも近づいていきます。逆に時間がかかる子は、4年目で箱根がギリギリの感じになります」 ――そういう中、監督が果たす役割は、どういうことなのでしょうか。 「進むべき方向からズレている子を、進むべき方向にちょっとずつ寄せていく手助けをすることです。その選手の目標や箱根に向けての距離を考え、こうしなさいではなく、こうやってみたらという方向づけが私の仕事かなと思っています」 ――指示せず、寄せていくのは難易度が高い。選手のことをよく理解できていないと難しいですね。 「私も引退して、指導者として法政に来て、すぐにそういうことができたわけじゃなくて、何十年も競技場に立っていろんな選手を見てきてようやくという感じです。毎年、選手が入れ替わるので、練習や選手の接し方も3年前とはちょっと違うので、そこは日々試行錯誤といいますか、私も何が正しいのか、見極めて、修正していくようにしています」
坪田監督が影響を受けた2人の指導者
指導者は、同じ競技はもちろん異業種の指導者から刺激や学びを得て、指導をアップデートしていく。坪田監督も影響を受けた指導者がいた。 ――坪田監督が影響を受けた指導者はいらっしゃいますか。 「ひとりは、東洋大の酒井(俊幸)監督です。私が法政大を指導し始めた時、実業団の強豪のコニカミノルタでやっていたノウハウを落とし込めば、すぐに結果が出るだろうと思ったんです。でも、なかなかうまくいかなくて予選会を落としたり、正直苦労しました。その時、同じでコニカで走り、一つ上の酒井監督に話を聞いたんです。当時、東洋大は箱根駅伝で優勝するチームだったのですが、合宿を一緒にさせていただいたりする中で、練習の内容、流れについてアドバイスをもらったのが今も生きています。もう一人は、帝京大の中野(孝行)監督です。中野監督は、高校時代の実績がなくても大学で選手を叩き上げて毎年、箱根で上位を争うチームに作り上げています。そのノウハウのお話しを聞かせていただきました」 ――中野監督の育成強化は、帝京大の軸になっていますね。 「私も5000m13分台の子を何人も獲得して、スーパーエースを揃えて勝負したいのですが、現実的にはなかなか獲れないので、育成して箱根に向けてチームを強くしていくことが大事になってきます。帝京大は、叩き上げで選手を育成しており、うちと似ているところが多かったので、非常に参考になりました」 坪田監督の指導は、自身の経験に加え、東洋大の強化と帝京大の育成がミックスされたものがベースとなり、今日の法政大の強さを生み出している。 (第2回へ続く) ■坪田 智夫 / Tomoo Tsubota 1977年6月16日生まれ。兵庫県出身。神戸甲北高(兵庫)を経て、法大では76回(2000年)箱根駅伝で2区区間賞など活躍。卒業後は実業団の強豪・コニカミノルタで2002年全日本実業団ハーフマラソン優勝、日本選手権1万m優勝。同年の釜山アジア大会1万m7位、2003年のパリ世界陸上1万m18位など国際舞台でも活躍した。ニューイヤー駅伝は計5度の区間賞。引退後の2012年4月から法大陸上部長距離コーチに就任。2013年4月から同駅伝監督に就任し、箱根駅伝は今回で10年連続出場となる。 佐藤 俊 1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)など大学駅伝をはじめとした陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。
佐藤 俊 / Shun Sato