「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(5)~ストーリーにこだわる文化と年月日にこだわる文化~ 東アジア文化編
4月1日、新たな元号「令和」が発表されました。元号は、日本だけでしか使われていない時代区分ではありますが、新聞やテレビなどで平成を振り返るさまざまな企画が行われるなど、一つの大きな区切りと捉える人が多いようです。その一方で、元号に対して否定的で「西暦に統一したほうがいい」という意見も少なからず聞こえてきます。 そもそも、人はなぜ年を数えるのでしょう。元号という年の数え方に注目が集まっている今だからこそ、人がどのような方法で年を数えてきたのか、それにはどのような意味があるのかについて考えてみるのはいかがでしょうか。 長年、「歴史における時間」について考察し、研究を進めてきた佐藤正幸・山梨大学名誉教授(歴史理論)による「年を数える」ことをテーマとした連載「ホモ・ヒストリクスは年を数える」では、「年を数える」という人間特有の知的行為について、新しい見方を提示していきます。
記事という言葉の初出は紀元前の東アジア
ストーリーにこだわる西洋とは対照的に、東アジアの歴史文化は、年月日にこだわる文化であり、古代より克明な年月日の記録が残されてきた。 まず、記事という用語の最も古い用例は、前漢時代(前206頃~後8頃)に編纂されたとされる『礼記』にある。 「本文:聖人之記事也、慮之以大、愛之以敬、行之以礼、修之以孝養、紀之以義、終之以仁。」 「書き下し文:聖人の事を記すや、之を慮るに大を以てし、之を愛するに敬を以てし、之を行うに礼を以てし、之を修むるに孝養を以てし、之を紀するに義を以てし、之を終ふるに仁を以てす。」 「現代語訳:聖人が一事を行って、その次第を記録せしめるに際しては、まず広い公正の立場から事を考え、人を愛して行う事であっても、恭敬の心を失わず、かつ礼儀に従って行動し、行動の趣旨を(老人や先輩に対する)孝悌に置き、また行動を正義によって規制し、(情愛のために変更を生じないように注意し、)そして仁慈の実現ということをもって、事業の結末とする。」(文王世子) (竹内照夫著『礼記 上』(新釈漢文大系27)、324~325ページ、明治書院、1971年)