マルク・シャガールの名言「私は優れた画家だったろう?」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。「愛の画家」と称され、豊かな色彩とともに幻想的な絵画を生み出してきたマルク・シャガール。激動の時代のなか、フランスやアメリカとさまざまな場所を拠点に活動を続け、約80年以上にも及ぶ芸術家人生を送ったシャガールが遺した威風堂々の言葉。 【フォトギャラリーを見る】 私は優れた画家だったろう? 北の雪国、青森県立美術館のホールに高さ8m、長さ14mを超える巨大なタペストリーが3枚架けられている。満月の夜空に浮かぶふたりの男女、牧歌的な風景のなかバイオリンを奏でる熊、真っ赤に染まった街の上空を駆ける白馬の馬車……。画面を包み込むダイナミックな筆致、幻想的な色彩に思わず息をのむ。マルク・シャガールがバレエ演目「アレコ」のために手がけたこの背景画たちは、舞台美術の傑作と称され、その後40年続くシャガールの創作活動にとって転換点となった。 1941年、シャガールがフランスから亡命してきた当時のニューヨークのアート界は、まさに抽象表現主義の夜明けを迎えようとしていた。晩年のピエト・モンドリアンの評価が高まり、ペギー・グッゲンハイムが若きジャクソン・ポロックを見出す……目まぐるしく変化するアメリカの美術界において、シャガールの作品はいわば「オールドファッション」に見受けられたのだろう。 ひたむきに活動を始めたシャガールがアメリカで花開いたのは1942年春のこと。その突破口となった作品こそが、「アレコ」の背景画だった。ニューヨーク・バレエシアターから依頼を受けたシャガールは、その年の夏の公演に合わせ、わずかな時間で4枚の背景画を制作。その圧倒的な迫力は観客からも大絶賛を受け、以降シャガールは舞台美術や壁画など大規模な作品にも注力することになる。 97歳でこの世を去ったシャガール。最期の日まで、自身のスタイルを貫き続け、アトリエのキャンバスに向かった。晩年「私は優れた画家だったろう?……これらの作品は魂で描かれている」と遺した言葉は、もはや自賛ではなく、確固たる威厳に満ちあふれている。
マルク・シャガール
1887年、帝政ロシア(現ベラルーシ)生まれ。画家。ユダヤ人の家庭に生まれ、1910年頃からパリで活動を始める。1941年、ナチスの迫害から逃げるためにアメリカ・ニューヨークに亡命。1947年にパリに戻り、その後フランス国籍を取得し、南フランスで創作活動を行う。1973年にはフランス・ニース市に「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館(現国立マルク・シャガール美術館)」を開館。1985年、97歳で逝去。フィラデルフィア美術館が所蔵する「アレコ」の背景画の1枚は、2027年3月末まで青森県立美術館に展示。4枚すべてが揃った状態で鑑賞できる。
photo_Yuki Sonoyama text_Kentaro Wada illustration_Yoshifumi ...