54歳差、経営学の大家と俊英が語るこれからの「日本的経営」
日本企業を停滞させる 「三つの過剰」
――日本企業は今なお「失われた30年」から抜け出せていないようです。GAFAMのようなビッグテック企業が生まれず、世界的に注目される経営者も非常に少ない。どこに原因があるとお考えですか。 野中》たしかに、IMD「世界競争力ランキング」2024年版で、日本は過去最低の38位まで落ちてしまいました。評価基準を見ると、3分の2は統計データで、残り3分の1は企業幹部へのアンケート。要するに、日本のトップマネジメントたちは自信を失っているんじゃないかな。 バブル崩壊後、自己不信に陥った日本企業の多くが計画や分析、統制のための経営ツールや手法を米国から導入し、モノマネ経営に走りました。手段であるはずの経営ツールが過剰になっていき、目的化した帰結として、現象学者フッサールの言う「日常の数学化」が進行した。数字やロジックばかりが先行し、本質的な意味を問わなくなった。オーバープランニング(過剰計画)、オーバーアナリシス(過剰分析)、オーバーコンプライアンス(過剰規制)という「三つの過剰」に陥ったのです。 経営というのは本来、人間の生き方そのものです。人間のモチベーションの源泉は、内的な動機づけにある。それが昨今のように量的な管理が進むと、内なる自律性は阻害され、イノベーションに向かう組織のエネルギーが毀損してしまう。 岩尾》おっしゃるとおりだと思います。私見を一言で言うならば、平成の時代にカネが強くなり、ヒトが弱くなりすぎました。原因は、カネが国境を越えて移動する「グローバル化」、カネで何でも買える「資本主義」、金本位制における金のような裏付けを失った「変動相場制」という三つの要件がそろい、カネの価値が大きく上下するようになったことにあると考えています。 実はこれは、人類史数十万年のうち、直近のたった40~50年の間だけで起きた未経験の状況なんです。さらに日本は特殊で、この状況でデフレが20年続き、相対的にカネの価値が5倍近くまで跳ね上がりました。 円の価値が上がりつづけるなかで、日本企業は海外に投資すれば楽にカネを生めるようになった。反対に、カネがかかる国内の人件費や研究開発費を削り、「ヒトよりカネが大事」という投資思考が蔓延したのです。デフレ下の平成のスター経営者といえば、昭和のころの人間味あふれるリーダーと違って、「カネに好かれる経営者」「投資家受けする経営者」が思い浮かぶことでしょう。 野中先生がおっしゃる「三つの過剰」は、まさにカネを守ろうとする日本企業の姿勢そのもの。イノベーションはヒトからしか生まれないので、ヒトを大切にしない企業では当然、イノベーションも生まれなくなったということだと思います。 野中》もちろん、すべての日本企業が本来の経営のあり方を見失ってしまったわけではありません。日立製作所やソニーグループ、あるいはエーザイなど、大企業でありながら危機を乗り越え、自己変革を達成した企業があることを評価すべきです。中小企業にも、世界的に優れた技術をもつ企業が多くあります。 岩尾》私も、「すべての日本企業は米国に比べて遅れている」というのは悲観しすぎだと思います。事実、海外の先進的な企業家やコンサルティング・ファームは、今も日本発の経営技術を学んでいるのですから。 野中》そもそも米国の経営学は、自己の利益を最優先し、合理的に行動する「ホモエコノミクス」を前提にした経済学の影響下にある。また、デカルト以来の二元論をベースに、「あれかこれか」と相手を対象化して分析する手法が主流です。 一方で、私が研究してきた日本企業は、人間が本来もっている身体性に基づく野性や、主体的な創造性を組織に生かしてきました。ベースにあるのは、「共通善に向かって、他者とともに新しい意味や価値を創造する主体」という人間像です。 日本企業は1970~80年代にそうした経営のあり方を花開かせ、「ジャパンアズナンバーワン」と称賛されました。私はそれらの成功事例をもとに、「知識創造理論」をつくり出した。今こそ日本的経営の本質に立ち返るべきで、GAFAMのような企業と比較して、一律に「日本企業はダメだ」と断じる必要はないのです。 岩尾》強く共感します。カネが最優先される平成の社会では、米国式の投資家に好かれる経営が合理的だった一面もありました。だからといって、「米国はすごい」と言いすぎるのはどうなんでしょう。 もちろん、米国の国家戦略は立派です。マルコムボルドリッジ国家品質賞や外資コンサルに見るように、日本企業の手法をきちんと学んで取り込んできた。一方、日本はうまくいっていた時期に天狗になってしまって、健全な危機感を忘れていた部分もあったと思います。 (『中央公論』12月号では、この後も、時代変化を取り入れた新しい「日本的経営」のあり方を詳しく論じている。) 構成:室谷明津子 野中郁次郎(一橋大学名誉教授)×岩尾俊兵(慶應義塾大学准教授) ◆野中郁次郎〔のなかいくじろう〕 1935年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。富士電機製造勤務ののち、カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)にてPh. D.取得。南山大学教授、防衛大学校教授、北陸先端科学技術大学院大学教授、一橋大学教授などを歴任。『知識創造の経営』『失敗の本質』『アメリカ海兵隊』『野性の経営』など著書多数。 ◆岩尾俊兵〔いわおしゅんぺい〕 1989年佐賀県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経営学)。明治学院大学専任講師などを経て、2022年より現職。主な著書に『イノベーションを生む"改善”』『13歳からの経営の教科書』『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』『世界は経営でできている』などがある。