新ヒロインは自然体 パリ五輪ブレイキン女子「金」湯浅亜実、楽しさ忘れず挑戦続ける 川口出身
ダンスへの愛情と、たゆまぬ努力で頂点をつかんだ。湯浅亜実(26)=埼玉県川口市出身=は、昨年8月に行われたパリ五輪で初めて種目に採用されたブレイキンで金メダルを獲得。小学5年の時から始めた同競技に魅了されトップの景色を知ったが、現在地に慢心することはない。妥協を許さない姿勢と、ぶれない自然体で“アーティスト”として2025年も新しい道を切り開いていく。 湯浅亜実が感激、川口市が称賛し特別表彰 湯浅が地元に望んだこと ■全て出し切る リズムに合わせた繊細な足さばきと豪快なムーブで世界に衝撃を与えた。なじみのなかったブレイキンが日本でも認知された瞬間だった。レベルが高い日本女子の競争を勝ち抜き五輪切符を手に入れた。メダル候補として期待は大きかったが、「応援してくれる人たちに自分の踊りを見てもらいたかった」と五輪は順位を意識することなく臨んだ。 いつもは映像で応援する家族もフランスへ駆け付けていた。「自らが完成させたブレイキンを見てもらいたい」。本人のわくわく度は、発表会で披露する少女の気持ちに近かった。頭に刻んだ技の構成。一戦一戦に集中し、勝つたびに「また自分の踊りをあのステージでできる」と心が躍った。最後まで圧巻のパフォーマンスで栄冠を勝ち取ったが「全て出し切ったので、(たとえ)負けていてもすっきりしていた」と充実の時を過ごした。 ヒロイン誕生に沸き立つ中、本人は金メダルの重みを理解していなかった。「勝ててうれしい気持ちはあったが、(自分と)周りの反応の差で分からなくなった」。一躍時の人となったことに困惑した。そんな動揺から救ったのは仲間たちだった。日本に帰国後、練習場を訪れると、前と変わらぬ様子で「お疲れ」と声をかけられた。その言葉に「すごくほっとした」と心が救われた。 ■「自分は小心者」 五輪へ向け日本で調整する日々が続いたため、気持ちはガス欠寸前だった。偉業達成からわずか4日後、休む間もなくスロバキアに向かった。目的は子どもに向けたワークショップ参加のため。「ブレイキンを通して人と出会うことが楽しみの一つだった。どこの国に行ってもやっている人がいて、音楽さえあれば身一つでできる」。他の文化に触れることで得るものは多く、モチベーションを上げる原動力にしている。 演技中はダイナミックな動きと堂々のたたずまいを見せるが「自分は小心者」と話す。幼少期から緊張で胃酸が逆流し、喉が焼け会話ができなくなることもあったという。今でも緊張はするが、「体が固まったりせず、自分の踊りができる経験を積んできた」と多くの舞台を踏んだことが精神面を強くした。 ■故郷に心地よさ 昨年の11月には地元川口から特別表彰を受けた。現在は練習拠点を川崎市に置くが、故郷の心地よさも忘れていない。実家に帰ってきた際には散歩を楽しみ「自然のある所に行くことが多くて、公園に行ったりしている」と親しんだ風景に癒やされる。川口で過ごした思い出の一つ一つがダンスにつながっていると語る。 28年のロス五輪では競技から外れてしまったブレイキンだが、悲観はしていない。「オリンピックだけが全てではないし、ブレイキンが楽しくて始めたのが一番にある。楽しさを忘れず、自分の踊りでいろんなことに挑戦していきたい」と目を輝かせる。「AMI(ダンサー名)」がつくり出す世界観は、まだまだ広がりを見せていく。 ■ゆあさ・あみ ダンサー名はAMI。ブレイキン選手の姉、亜優(AYU)さんの影響でダンスを始め、小学5年の時に本格的にブレイキンに取り組み始める。2018年に世界最高峰大会「レッドブルBC One」の初代女王を獲得。19、22年世界選手権優勝。趣味は編み物。155センチ。26歳。川口市出身。