「国境通信」 違和感ぬぐえぬ、福岡市動物園ゾウの受け入れ 川のむこうはミャンマー ~軍と戦い続ける人々の記録 #9
2024年3月にこれまで勤めていた放送局を退職した私は、タイ北西部のミャンマー国境地帯に拠点を置き、軍政を倒して民主的なミャンマーの実現をめざす民衆とともに、農業による支援活動をスタートさせた。 【写真で見る】違和感ぬぐえぬ 福岡市動物園ゾウの受け入れ 記者時代、頭を撃ち抜かれ糸が切れた操り人形のように倒れる若者、血まみれになった我が子の遺体を前に絶望の叫び声を上げながら頭を抱える母親、テレビのニュースでは放送することのできない状況を目にして、もはや記者という立場を超えて当事者として彼らを支援したいと思ったからだった。 2024年7月、ミャンマーから久しぶりに一時帰国すると、「忘れられた紛争地」という言葉が頭をよぎった。 ■軍事政権とのやり取り、異を唱える人は誰一人いなかったのか 帰国してしばらくして、ミャンマーから福岡市動物園に4頭のアジアゾウが到着した。 そのことを伝えるテレビニュースを目にしたが、そのニュースの中でミャンマーがいま、クーデター後の軍事政権下にあり、反発する国民への弾圧が続いているという事実は、触れられることはなかった。 強い違和感を覚えるが、その一方で「それはそうだよな・・・」と考えたりもする。 一般の視聴者からすると、ゾウ到着を伝えるほのぼのとしたニュースの中に、突然ミャンマーの現状に関する情報を短く盛り込まれても、混乱するだけだろう。 とは言え、このニュースを流しているメディア側の頭からも、この事実が全く抜け落ちてしまっているのだとしたら、それには危機感を覚える。 ミャンマーで続いている悲劇が、こうやって世の中から忘れられていくのだとしたら、それは国軍側の思うつぼだからだ。 ■「これがミャンマー国民の感覚なのだな」 ミャンマーのいわゆる民主派、つまり現在の軍事政権に反発する人々は、クーデターという暴力で実権を握った国軍を、ミャンマー政府として扱うこと自体が大きな間違いであると考えている。 この考えに基づく反応は、時にヒステリックに感じるほどだ。 クーデター直後、当時の丸山駐ミャンマー大使が、軍政が任命した「外相」に対し、市民への暴力の停止やアウン・サン・スー・チー氏の早期解放を求めたことがニュースになった。 私は、丸山氏の行動は民主派側に寄り添うものであると感じたが、これに対して特に若者を中心に日本への批判が噴出した。 それは、丸山大使が軍政が任命した人物を「外相」と認めたことに対しての怒りであった。 この時 私は、「これがミャンマー国民の感覚なのだな」と思った。 だから、その後の日本政府の対応も、日本財団が行った支援も、すべて軍政との交渉を経て行われている時点で、民主派の人々にとっては受け入れられないものになってしまうということが、正しいかどうかは別として、理解できた。