苅部太郎「あの海に見える岩に、弓を射よ / Aim an Arrow at the Rock in the Ocean」(MYNAVI ART SQUARE)開幕レポート。AIが見た風景とはどのようなものか
東京・東銀座のMYNAVI ART SQUAREで苅部太郎の個展「あの海に見える岩に、弓を射よ / Aim an Arrow at the Rock in the Ocean」が開幕した。会期は8月31日まで。 苅部は1988年生まれ。心理学、感染症予防、金融、ITの領域を横断した後に写真表現を開始し、社会の複雑な様相を、「人がものを見る経験」を通して再認識する作風を特徴としている。写真メディアを使用し、近年はテクノロジーと人間が相互作用しながら形成するホロスの主観的視覚世界の視覚化など、角度を変えながら手法を考察してきた。 本展は、苅部が2022年から続けるプロジェクト「あの海に見える岩に、弓を射よ」に新作を交えて発表するものだ。会場には苅部が生成AIを用いて制作した「風景画」が展示されている。 なぜ本展の作品は「風景画」なのか。それは本作の制作手法にある。まず苅部は、液晶テレビの受信部を接触不良にして任意の画像にグリッジを発生させ、それをデジタルカメラで撮影した。撮影した画像データに回転やトリミングなどを行い、生成AI搭載の画像編集ソフトに入れて風景写真として認識させることで、システムを錯乱させることで作品を生成。こうして、AIが風景ではない画像を風景として認識しようとすることで生まれる、AIの見た「風景画」が生まれた。 同じ画像を入れても、生成AIの吐き出す画は学習によってつねに変化しているといい、また最近は抽象度の高い画になる傾向があるという。こうしたAIの変遷も作品からはうかがうことができる。いずれ、AIが入力される風景を風景ではないと判断するときまで、苅部のこの試みは続くそうだ。 いっぽうで、この作品群はAIによる加工を苅部がどこかで止めていることで完成する。最終的には苅部の感覚により、風景として完成した段階が決められているということだ。AIをどこまで騙すことができるのか、どこまでAIをツールとして使役することができるのか、といった苅部の問いかけにより、完成しているともいえるだろう。 生成AIが一般層にまで浸透し、誰もが触れられるようになった現在において、制作者たちはAIの知覚とどのように対峙するべきなのか。様々な示唆に富む展覧会だ。
文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)