「僕は今、死んでも宇宙のエネルギーと一体になれる」…谷川俊太郎さん92歳で死去
「僕は権威になるのが嫌。できれば道化役みたいになりたい」と穏やかに語り、「人間の成長を木の年輪にたとえると、中心に生まれた自分がいて、3歳、5歳と周りに年輪ができ、最後の年輪が今の自分。自分の中に常に幼児である自分もいる」。みずみずしい詩を生み続ける秘密を明かした。
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
「二十億光年の孤独」は1950年、18歳の若さで文芸誌に発表した。一人っ子で大切に育てられた幼年時代、軽井沢の別荘で見た満天の星などを想像させる。戦争の傷痕が残る時代、清新な詩は多くの人に受け入れられた。
でも、谷川さんはどんな自分の言葉も勝手に心から離れ、詩になってしまう哀(かな)しみを抱えた人のようにも見えた。
<何ひとつ書く事はない(略)本当の事を云(い)おうか/詩人のふりはしてるが/私は詩人ではない>。65年に発表した詩「鳥羽」の一節だ。詩人は言葉を超えた、本当の人の魂との触れ合いや詩情(ポエジー)を求めてさまよった。家庭生活のうえでは3度の離婚を重ねた。「高村光太郎は智恵子を狂わせ、中原中也は女性トラブルを経験した。詩的な生き方を貫くと、世間とどうしてもぶつかってしまう」と言った。
ひらがなの詩、定型詩、極端に短い詩。様々な技法を試した。本当の詩を探す旅を続け、90歳を超えておむつをつけるようになった自分もまた詩に詠んだ。
これを身につけるのは
九十年ぶりだから
違和感があるかと思ったら
かえってそこはかとない
懐かしさが蘇(よみがえ)ったのは意外だった (「これ」より)
書いた詩は、発表しただけで2500編以上といわれる。「最近、宇宙は目に見えない、ビッグバンのエネルギーに満ちているように見えてきた。僕は今、死んでも宇宙のエネルギーと一体になれると思う」
その詩は、日本語の夜空に永遠に瞬き続けるはずだ。
(文化部 待田晋哉)