奇跡のプリマ・ドンナ、三浦環の人生をオペラに 日本オペラ協会制作、再来年3月世界初演
■プッチーニが絶賛
プッチーニとの出会いは大正9年4月。ローマで上演された「蝶々夫人」をプッチーニが鑑賞した。翌日、トッレデルラーゴの別荘に招かれ、「私が心の中で描く、幻のマダム・バタフライが舞台に現れたと思いました。最も理想的な蝶々さんです。私の夢を実現してくれました」(遺稿、「奇跡のプリマ・ドンナ」より)とまで絶賛される。
イタリアで活動を続け、シチリア島パレルモで「蝶々夫人」2000回上演の偉業を達成する。藤原歌劇団の創始者、藤原義江が初めてイタリアに渡った際には面倒をみている。昭和10(1935)年、帰国。昭和21年3月21日、最後の演奏会が開かれた。曲は自身が訳したシューベルト「美しき水車小屋の娘」だった。5月26日、62歳で亡くなった。
大石教授は「両親が離婚して、音楽で母を助けようと明治33年に東京音楽学校に入学します。離婚や再婚をし、夫とは死別しました。そういった環の行動は批判されました。しかし、天真爛漫に生きた環の人生は現代に響くのではないでしょうか。4つの大きな戦争を乗り越えて活動し、オペラを通して海外と日本の文化を融合させました。『蝶々夫人』を通して日本文化が海外に発信されたのです。環は『声』と色紙に書いたり揮毫したりました。心の声が届くように、それがお客さまの心の声と重なるようにオペラを作りたいという願いだったのです」と話した。
公演で環を歌うソプラノ、佐藤美枝子は「私たちが歌えているのは三浦先生の偉業があったから。大先輩の役を歌うのは身が引き締まる思いです。作曲の渡辺先生はメロディックな曲を書き、歌手や聴衆の心を揺さぶります。三浦先生が喜んでくれるような作品を作りたい」と話した。
公演は2026年3月7、8日、東京・新宿文化センター大ホール。演出は岩田達宗。田中祐子指揮神奈川フィル、日本オペラ協会合唱団。(江原和雄)