奇跡のプリマ・ドンナ、三浦環の人生をオペラに 日本オペラ協会制作、再来年3月世界初演
日本オペラ協会は明治から昭和の前半に活躍した日本人初の国際的なオペラ歌手、三浦環の人生を描く「奇跡のプリマ・ドンナ~オペラ歌手・三浦環の『声』を求めて~」を新制作する。オペラ「蝶々夫人」の作曲者、ジャコモ・プチーニに認められた世界のソプラノの偉業が顧みられることは少なくなった。オペラの原作者で、同じ題名の著書をKADOKAWAから出版した東京芸術大の大石みちこ教授は「三浦環は女性の社会進出の先駆者です。オペラ化のお話をいただき光栄です」と話した。オペラの世界初演は環の没後80年となる2026年3月を予定している。 【写真】親友の新渡戸ハマに送った三浦環の色紙 ■日本初のオペラ歌手 日本オペラ振興会(藤原歌劇団・日本オペラ協会)の2025/2026シーズンラインアップの記者会見で、「奇跡のプリマ・ドンナ」の制作が発表された。 同協会の郡愛子総監督は「『奇跡のプリマ・ドンナ』の台本は著者の大石さんに書いてもらいます。作曲は渡辺俊幸さんです。三浦環は明治36(1903)年、グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』のエウリディーチェを歌い、日本で初めてオペラ全幕を演じました。良妻賢母が求められた時代に、わが国初のオペラ歌手として成功を収めることができました。また日本オペラ振興会への宿命的な流れを感じます」とあいさつした。 環は明治17年、東京生まれ。公証人の父親は芸事が好きで、幼い頃から日本舞踊、長唄、山田流の筝曲を習った。東京女学館の音楽教師に勧められ東京音楽学校(現東京芸大)に入学、「荒城の月」の滝廉太郎にピアノを教わった。 郡の祖母、新渡戸ハマは環の音楽学校の友人だった。大石が本を書くため環が出た東京女学館に取材に行くと、郡を訪ねるように言われたという。郡も東京女学館で学んでいる。 「大石さんがインタビューに来てくれて、これはオペラになるのではないかと思いました。祖母と環は親友で、家によく牛鍋を食べに来ていたそうです」と郡。郡の手元には「うたひ女はつらき 変ふ心をもたざれば 真の芸術家とは なり得ず」とハマに送った色紙が残されている。 環は日本で最初のクラシックレコードを録音し、大正3(1914)年、ドイツに留学、第一次世界大戦のためすぐイギリスに移った。大指揮者ヘンリー・ウッドに認められ、ロンドン・オペラハウスで「蝶々夫人」のタイトルロールを歌い、成功を収める。そして翌年、アメリカに渡り、ホワイトハウスに招かれ、ウィルソン大統領の前で歌うまでの人気歌手になった。