【光る君へ】0歳で即位の天皇も?平安時代に幼帝が珍しくなかったワケ
誰が東宮になるかは、天皇や皇族、廷臣の力関係で決まり、原則は見いだしがたくなった。通常は親子、兄弟、おじ、おいだが、鎌倉時代には大覚寺統と持明院統の両統迭立が行われ、それが南北朝の争乱につながったし、平安時代にも冷泉・円融天皇という兄弟の子孫が交代で即位したことがある。 年齢については、9歳で即位した清和天皇のときから10歳未満も通常化し、そのことが、天皇が実質権限を持たない摂関制や院政の背景となった。最後に幼児が天皇となったのは、明治天皇の曾祖父である光格天皇だから、それほど昔のことでない。 平安時代から現代に至るまでの間で、遠縁の天皇が即位した例としては、文徳・清和・陽成天皇と3代続いたのち、資質面での問題などが生じたことから、大叔父にあたる光孝天皇が即位し、その後、宇多天皇が続いた例がある。この両帝は臣下であったことから、今後の旧宮家の皇族復帰の前例となる。 また、東山天皇の子である中御門天皇の子孫が4世代5人続いたあとに断絶したので、東山天皇のひ孫にあたる光格天皇(閑院宮家出身)が即位した。幕末から明治にかけては、無事に育った皇子が1人だけという状況が4代続き、断絶した場合は、後西天皇の子孫である有栖川宮家か北朝崇光天皇の子孫である伏見宮家が継承することが予定された。 女帝については、退位の時点では存命の男子がいなかった後水尾天皇が、譲位を強行するため娘の明正天皇を即位させた事例がある。また、もうひとつの事例は、桃園天皇が死去したとき、子で5歳の後桃園天皇が即位することは、政治的不安定をきたしそうだったので、桃園天皇の姉である後桜町天皇が、つなぎに即位した。 このように、126代までの歴代の天皇継承において、男系継承に例外などまったくなく、女帝となったのは、男系の適切な継承予定者が若すぎたケースだけだ。ただし、そうして即位した女帝が権力をもっていなかったわけではない。 また、日本の皇室では、天皇は独裁者ではなく、継承者を自分の意思だけで決められたわけでない。皇室の内部のみならず、摂関家や幕府などが関与したことも多い。たとえば、天皇が自分の近親者を優先しようとしても、前例を尊重するように諫められることが多かったのである。 (評論家 八幡和郎)
八幡和郎