F1角田裕毅、2024年の明確な進化 フル参戦4年目、結果と速さを追求
チーム内バトルで圧倒
昨季から角田はチーム内バトルには強い。ルーキー年の21年、翌22年はピエール・ガスリー(フランス)にかなわなかったが、今でも仲の良い二人は「チーム内バトル」とはほど遠く、「共闘」してアルファタウリを盛り上げていた。ガスリーがアルピーヌに移籍した23年は開幕から新人のニック・デフリース(オランダ)と組んだ。デフリースは結果が出ずに7月で解雇。代わって加入したのがリカルドだったが、骨折のため、ローソンが6戦で代役参戦。デフリース、リカルド、ローソン、リカルドとめまぐるしく相棒のドライバーが交代する中、角田はシーズンを通してファーストドライバーの地位を力強く守り、終盤戦には極めて印象的な走りを披露した。第19戦米国GPでは日本人ドライバー3人目、3例目のレース最速ラップを刻み、最終戦アブダビGPでは自身初のリードラップを記録し、ファン投票による「ドライバー・オブ・ザ・デー」に選ばれた。 角田と言えば、コース上がマシンで数珠つなぎになったシーンをF1デビュー2戦目で「トラフィックパラダイス(渋滞天国)」と表現するなど、無線を通じたユニークな表現で知られる。一方でイライラした際には叫ぶなど、いわゆる「Fワード(汚い言葉)」を発する時も。精神的な「未熟さ」を指摘されたこともあったが、24年はたくましさを増し、チームメートが猫の目で変わろうが、お構いなし。自分のやるべきことに集中し、できる限りのポイントをチームに持ち帰ろうと奮闘し、結果を出した。 ◆自己最高の予選3番手 第21戦サンパウロGPは雨の予選で3番手を記録。日本人ドライバーでは過去、04年欧州GPの佐藤琢磨(当時BAR)と12年ベルギーGPの小林可夢偉(同ザウバー)の2番手が予選最高成績だが、それに迫り、表彰台への期待が高まった。 迎えた決勝。ウエットタイヤに履き替えた後、猛烈な勢いで上位勢に迫っていたが、セーフティーカーと赤旗が出るタイミングが不利に働いた。「ウエットタイヤに履き替えた判断は良かったと思うが、セーフティーカーと赤旗が出たことで、ステイアウトしていたドライバーたちに前に出られて、結果的に大きく順位を下げることになった。あのまま、セーフティーカーも赤旗も出なければ、僕は多くのマシンを抜き、もしかしたらトップに立つことができていたかもしれないだけに残念だった」。悔しさをにじませながらも、雨が降る難しいコンディションの中、ミスのない走りで7位入賞。「もっと多くのポイントを取りたかったが、いつミスをしても不思議ではない状況で、クリーンに走り続けて7位を獲得できたのはポジティブ」と手応えを示した。 次戦のラスベガスGPでも7番手スタートから9位に入り、今季9度目の入賞。獲得ポイントを30ポイントに乗せた。RBのライバルとなっているハースのニコ・ヒュルケンベルク(ドイツ)に抜かれたことを悔やみつつ、「やれることは全てやったが、ペースが違い過ぎた。それでも最後まで粘れたのは良かった」と語った。 ◆可能性高まったレッドブル昇格 RBとの契約延長は6月に早々と決まった。ただ、すんなりと25年もRBで走ることは確定しなかった。レッドブルのセカンドドライバー、ペレスが第6戦以降、表彰台に乗ることができず、不振を極めたからだ。総合4連覇を目指したマックス・フェルスタッペン(オランダ)は第10戦までに7勝。今季も楽勝かと思われたが、そこからのチャンピオンへの道のりは険しかった。マクラーレン、フェラーリに追い上げられ、速さで劣ることはしばしば。第11戦から10戦連続で優勝を逃したが、それまでの貯金が物を言い、逃げ切ってドライバーズ部門4連覇を遂げた。その一方でペレスは入賞がやっとの戦いが続き、コンストラクターズ(製造者)部門のタイトルはマクラーレンにさらわれた。ペレスは26年まで契約があるにもかかわらず、盛んに交代論が浮上。RBからも親チームのレッドブルに角田、そしてローソンの昇格がささやかれるようになった。 当の角田は7月の英国GPで「自分の契約が決まったが、きちんと結果を出し続けなければいけない状況に変わりはない。自分のことに集中しないといけない」と言った。次のハンガリーGPでは、レッドブルのマシンに乗る準備はできているかの問いに「過去3年と比べて、準備はできていると感じている。トップチームと戦う準備はできているし、マックス(フェルスタッペン)とはもちろん、ほかのトップドライバーともポジションを争う準備はできている。最終的に決めるのは僕じゃなく、レッドブル。僕がコントロールできることではないから」。過熱する周囲の期待をよそに、冷静に実績を重ね、じっくりと爪を研いでいた。 ◆レッドブルのマシンをドライブ 最終戦後の12月10日には、アブダビで行われたタイヤテストでレッドブルの今季型マシン、RB20に初めて乗った。「速い。やっぱりロングラン、長い距離を走ると速い。レッドブルが求めていたことを全部こなして、満足できる一日だった」。レッドブルのクルーからの評判も良かったものの、それが昇格にはつながらなかった。 本人も昇格、残留の可能性が「50%、50%」だと思っていたそうだ。だが、今季途中からRBでチームメートだったローソンに白羽の矢が立った。RB20でのテストはホンダの後押しもあって実現したが、ローソンの昇格は、その前に決まっていたとの見方が強い。 F1ドライバーの評価は速さ、安定感、大口スポンサーの有無などが重視される。今季の角田はローソンに「チーム内バトル」でほとんど負けなかった。ローソンは「ユウキ(角田)を倒してレッドブルに行く」と公言して途中加入。そんな同僚にも熱くならず、冷静に対処した角田は、確実に成熟したドライバーへの道を歩み始めた。 ◆来季はレーシングブルズで ローソンより明らかに速かった角田がレッドブルに選ばれなかった理由には、さまざまな要素があるだろう。しかし、日本のファンにとって大事なことは、25年も日本人ドライバー角田がF1にいて、レーシングブルズ(RBから来季改称)で走るということ。ホンダRBPTの名称でパワーユニット(PU)をレッドブルとRBに供給してきたホンダとレッドブル・グループのコラボレーションは、25年で終わる。24年までフェルスタッペンのドライバーズ王座4連覇、そしてコンストラクターズ・タイトルも22、23年と制した。PU名はホンダ(~21年)からレッドブル・パワートレインズ(22年)、ホンダRBPT(23年~)と変遷したが、ホンダ・レーシング(HRC)が供給するPUは実質ホンダ製。パワフルなPUが、角田やフェルスタッペンの走りを支えてきた。 角田がレーシングブルズのエースとして臨む25年。同僚は20歳の新人、アイザック・ハジャー(フランス)に決まった。26年からはホンダがPUをアストンマーティンに供給してアストンマーティン・ホンダとなる。レッドブルはフォードと提携し、PUは自前で製造する。26年も角田がF1ドライバーであり続けるためには、印象に残るパフォーマンスで他チームの首脳の目を引き、欲しいドライバーになる必要がある。今季、角田の奮闘はファンや関係者からも熱い支持を受けた。これまでの4年の歩みを見る限り、自分の力で、軽々とそのハードルを越えていってほしい。