富岡八幡宮と世襲歓迎の弊害──「地盤相続社会」における村々の“小権力”
天神様の御登場を
筆者は、2020東京オリンピック・パラリンピックに災厄が続くのは、東日本大震災の復興も軌道に乗らぬうちに都でのお祭り騒ぎを決定したことに対する、関東(関所の東として東北も含む)の「武」の象徴である平将門の怨念ではないかと、ブログに書いたことがある。京都に運ばれて晒された将門の首は関東に飛んで、今でも大手町にその首塚が残っているのだ。 今回、富岡八幡宮の事件と時を同じくして、天皇の退位と即位の期日が決定し、久々の上皇が誕生することとなった。新天皇の即位は国民的祝祭であるべきだが、新皇后は長い精神の病にあった。そんなことから、権限なき上皇でもあった崇徳天皇の怨霊が想い起こされるのだが、実は明治天皇も、昭和天皇も、その祟りを鎮める祭りを行っているのである。怨霊伝説は近代科学の世にも息づいていた。 かくなる上は、道真公の怨霊が神となった天神様に、日本全体の魂鎮めをお願いするほかないのではないか。 もちろんそれは半ば冗談であるが、現実に返って、宗教と政治の「地盤相続」に対する制度的な改革は、現代日本の長期的な課題であると思われる。 この列島は、科学や技術や経済の面では近代化したのだが、精神的な文化的な面では過去を引きずっている。近年その弊害が目立っているのだ。