マングースはハブと闘わない 有害外来生物をつくり出した学者の責任
ある特定の生物を退治するために海外から導入されて、うまくいかないどころか必要以上に個体数を増やして、日本古来の在来種を絶滅の危機にさらして、駆除対象になる「有害外来生物」に指定されてしまうケースはよくあります。 なかでも沖縄のハブ退治のために導入されたマングースの例はとてもよく知られています。導入の歴史から現在の駆除状況、今後の課題について国立研究開発法人国立環境研究所の五箇公一さんが解説します。
期待の星・マングースに与えられた当初のミッションとは?
日本で、もっとも深刻な生態系被害をもたらしている外来種にマングースがいます。マングースは、西アジアから東南アジアにかけて分布する雑食性の哺乳類で、日本では、沖縄島と奄美大島に定着しています。外来種としての歴史は意外と古く、1910年に沖縄島に最初に導入されました。マングースが持ち込まれた理由は、島内のネズミと毒ヘビ・ハブを退治するためだったとされます。
ネズミは、当時の島民にとって重要な収入源であるサトウキビに大きな被害をもたらし、そしてそのネズミを餌として畑に侵入してくるハブは、農作業をする島民の命を奪うおそろしい動物でした(今でも、もちろん咬まれれば命に関わりますが、医療機関の発達により、その被害は軽減されています)。これらの有害な動物を駆除するための天敵として、マングースに目を付け、島に導入することを提案したのは、当時、動物学の権威であった東京大学・渡瀬庄三郎名誉教授(1862-1929)でした。 教授がインドに出張に行った際に、街でコブラ対マングースの対決ショーを見る機会があり、毒ヘビ・コブラを勇猛果敢に倒すマングースの姿に感激して、マングースの沖縄への導入を思いつき、船便で運んだ、という逸話が語り継がれています。対決ショーに感動してとった行動か否か、その真実は定かではありませんが、ひとりの研究者の発案によって、この外来動物は沖縄に持ち込まれたのです。
マングースはハブを食べてはいなかった!
マングースが沖縄島に到着したときには、当時の地元紙でも記事となり、「期待の星(ホープ)来る!」と大々的に宣伝されました。特にハブ退治の決め手として、島民達の間ではマングースは救世主扱いされました。わずか16~17匹ほどの導入個体は、沖縄島でみるみるうちにその数を増やし、生息数は最高3万匹に達したと推定されています。1970年代までマングース神話は続き、79年には沖縄島から奄美大島にも本種が導入されました。