「復興のシンボル」で伝統の祭りを… 特別な意義を感じた記者の予想は見事にはずれた 主催者が語る意外な理由と、メディアが陥りがちな「当てはめ」
きっかけは、同級生からの1本のLINEだった。 「今年のよいさ、鵜住居でやるみたいだよ」 よいさとは、岩手県釜石市で毎年夏に開かれる祭り「釜石よいさ」のことだ。鵜住居は、東日本大震災で市内最大の被害が出た地区。被災した学校跡地につくられた「釜石鵜住居復興スタジアム」は4年前のラグビーワールドカップ(W杯)の会場になった。 釜石の夏の風物詩が、復興の象徴的な場所で開催される―。震災からの再生の足跡を残そうと定期的に取材している釜石出身の私にとって、特別な意義を感じずにはいられなかった。だが取材に訪れると、主催者側は違う思いを抱いていた。(共同通信=帯向琢磨) ▽何度も「寂しいですよね」 よいさは1987年、新日本製鉄釜石製鉄所の高炉休止を受け、街に活気を取り戻そうと始まった。全国的に有名なわけではないが、企業や団体ごとに、市民が色鮮やかな衣装に身を包み、宵闇の街を踊りながら練り歩く姿は、中学2年まで過ごした記者にとっての原風景ともいえる。新型コロナウイルスの流行後は中止しており、今回は4年ぶりの開催だった。
9月22日。よいさを翌日に控えたスタジアムではスタッフが会場設営などにいそしむ一方、近くにある土産物屋は閑古鳥が鳴いていた。 「平日はいつもこんなもん。本当に明日よいさがあるのか不安になります」 店員の佐々木利香子さん(62)はため息交じりに話す。 店は前回のラグビーW杯前にオープンし、大会の前後は観光客であふれることもあった。ただ、そのときがピークだった。この店だけではない。釜石の復興自体、W杯を目指して急ピッチで進み、その後は停滞していると、多くの市民が口にしている。 「寂しいですよね」。佐々木さんは何度もつぶやいた。 ▽持続可能なイベントに だからこそ、今回のよいさは起爆剤になるのでは。そう期待しながら、その夜、実行委員長の小笠原景子さん(39)に会った。小笠原さんにとってよいさは、小学生の時、父が会社のメンバーと出て家族でにぎやかに参加したことが思い出だ。家にいるときとは違う表情を見せる父の姿も印象に残っているという。