「復興のシンボル」で伝統の祭りを… 特別な意義を感じた記者の予想は見事にはずれた 主催者が語る意外な理由と、メディアが陥りがちな「当てはめ」
これまでは客としての立場だったが、初めて主催側になった。 震災後、復興支援で来てくれた人と共に踊り、交流が生まれていたよいさも、時の経過とともに人が減った。コロナ禍で中止が続いたこともあり、方向性が見えなくなっていた。この先どうやって持続可能なイベントにしていくか。新たな課題が突きつけられていた。 春ごろに立ち上がった実行委員会は思い切った挑戦に出る。開催時期を、例年の8月の夜から9月の日中に変更。さらに開催場所を、中心市街地からスタジアムに移した。 だがその意図は私の想像とは違った。「復興のシンボルに、というわけではないんです」と小笠原さん。時期をずらしたのは熱中症対策のため。スタジアムにするのは予算削減のため、最善の策だと考えたからだという。 ▽利活用の在り方 その後、もう1人の実行委員長宍戸文彦さん(48)にも話を聞きに行った。やはり、スタジアムでの開催は復興を絡めたものではなく、合理性を追求したためだと強調する。フランスでのラグビーW杯が盛り上がっているタイミングでもあるがと水を向けると、笑ってこう言った。「全然意識してなくて、偶然です」
これまで30回以上積み上げてきた歴史を変えることに、市民からの反発もあった。「イメージが湧かない」「なぜ鵜住居で」。ただ、宍戸さんは「時代に合わせて変わっていくのは当然」との意志を貫き、その先も見据えていた。 「スタジアムの利活用も重要な課題。今回をきっかけに、もっといろいろなイベントを開いていきたい」 W杯のために新設されたスタジアム。オリンピックもそうだが、国際的なイベントで使われた競技場は、各地で跡地利用がうまく進まず、関係者の頭痛の種になっている例が散見される。釜石でも「まだ使われ方が物足りない」との声がある一方で、ラグビーの試合や練習の他、地域のグランドゴルフや小学校のマラソン大会、修学旅行の見学先にもなっている。 2022年度は81件の利用があり、市の担当者は「利用者はどんどん増えている」と今後の広がりに自信を見せていた。 ▽「被災者根性では…」 いざ当日。開始2時間ほど前から、車や三陸鉄道に乗った市民が続々とスタジアムに集まってきた。海風がなびく中、企業や福祉法人、学校などのチームに分かれ、500人以上が太鼓や笛の音に合わせて舞を披露する。踊る人も見ている人も「サーサ、ヨイヤッサー」のかけ声で盛り上がった。