「復興のシンボル」で伝統の祭りを… 特別な意義を感じた記者の予想は見事にはずれた 主催者が語る意外な理由と、メディアが陥りがちな「当てはめ」
双葉小6年の三浦蒼人君(12)は赤い衣装にそろえてクラスで参加、話を聞くと笑顔を見せた。「みんなが楽しく踊るよいさは小さいときの憧れだった。広々としたところで踊れて良かった」 この小学校でPTAの学年委員長を務める高木未来さん(40)は感慨深げだ。「今の6年生は震災直後に生まれた。その子たちがこの場所で参加できたのは意味があることだと思う」 被災地の地元の祭りとして、もっと対外的に打ち出しても良いのではないか。無事の成功を見て、改めてその思いがわく。宍戸さんは「受け取る人がそう思うのはそれで良いのではないか」。だが小笠原さんは「震災のことをいつまでも引っ張りすぎても…」と思うのだという。 そう言われれば確かに、私の友人も数年前から「いつまでも被災者根性では駄目だ」と話すようになった。 悲劇を忘れず、次の災害に備えるために、被災地の取材や報道は必要だと考えている。だが、いつまでも被災地や被災者という枠に当てはめることに抵抗がある人がいることも事実だ。人々の率直な声を、今後も聞いていきたいと思った。