世界で活躍する日本のビジネスパーソン 〈1〉■ブラジル編■ 「道産子バナナ王」山田勇次さん 一代で業界トップに上り詰めた戦後移民
【問】ブラジルに来て最初は何を? 父は郷里の土地を売ってレジストロ(ブラジル南東部サンパウロ州海岸地帯)に土地を購入しました。お茶づくりが盛んな土地で、茶摘みをしたり、野菜を植えたりしていましたが、ブラジルに来て2年で父が亡くなりました。 5歳上の兄とアボブリーニャ(ズッキーニ)を植え、夜中も懸命に働き、出荷が終わると利益が出て、数年でコンビ(フォルクスワーゲンのバン)も買えて独立資金もできました。農薬を吸い込んで肝臓を傷め、食欲もなく歩くのもつらい時期がありましたが、そのことがきっかけで仕事を人に頼むことを覚えました。 20歳の時、夢だったバナナ栽培を始めるための資金作りと生活のためにサツマイモを植え、それまで販売の経験はありませんでしたが、店に客として訪ねて世間話をしながら商談に入る兄のやり方を真似すると、商売も上手くいくようになりました。 当時はバナナの市場の供給量が少なく高い値段で売れ、その売上げを基に野菜も植え、作業員100人を動員して毎日トラック1台を出荷するようになりました。
【問】マラクジャ栽培でも成功されたそうですね? 1980年に雑草だらけの広い土地を見つけ、何の計画もなく「植えてみたい」とインスピレーションを得ました。土地の所有者は、戦時中にリトアニアで杉原千畝領事がビザを発行してユダヤ人を助けた話が好きなポーランド人で、無料で土地を貸してくれました。 その20haの土地は何十年も放置されたカチンゲーラ(有刺低木地帯)で、通常は火をつけて雑草を焼き払いますが、その時は直感的にトラクターをかけただけでマラクジャ(パッションフルーツ)を植えてよく実りました。 当時、ブラジルではマラクジャを飲む習慣はなく売れなかったのですが、知人から聞いた2社のジュース会社に電話をすると、フロリダで大霜が降りてマラクジャが不足しているとのことで競って買いに来て、値段が日を追って倍に高騰しました。 今思えば、あの土地は長年の栄養がたまっていたので無肥料無農薬でおいしい果実が実り、ジュース会社にも気に入られたのです。4年間のマラクジャ栽培での成功が知れ渡り、周囲も植え始めたので「自分はもうしない」と言いました。
【関連記事】
- ブラジル日本商工会議所協賛企画=現地で活躍する日系企業の今=19=駐在員居住許可サポートのツニブラIMG社 2024年1月6日
- ブラジル日本商工会議所協賛企画=現地で活躍する日系企業の今=18=品質で勝負するティービーピー社 2023年12月16日
- 【山形県人会創立70周年記念特集】山形県人会創立70周年=ロンドリーナで盛大に祝う=吉村知事ら300人が出席 2023年11月22日
- ブラジル日本商工会議所協賛企画=ブラジルで活躍する日系企業の今=16=事業創造型商社GSIクレオスブラジル社 2023年11月18日
- ブラジル日本商工会議所協賛企画=現地で活躍する日系企業の今=12=世界や地元で愛されるイグアスコーヒー社 2023年9月16日