前原滉 ヒロインオーディションの相手役のはずが映画に出演することに
■養成所の最初の2年間は“窓際族”だった
2011年、前原さんは上京し、一人暮らしを始めることに。 ――養成所2年目で上京されていかがでした? 「何か思ったほど感動しなかった気がします。実家を出て親と離れることの方が泣いちゃいそうになるというか。今思えば、1時間半新幹線に乗ったら着く距離だし、休みがあれば戻ればいいだけの話なんですけど、『この家を出るんだ』と思ったらすごく寂しい気持ちになって。あまり顔を見られなかったですね。 逆にこっちに来てめちゃくちゃ感動したみたいなことは、あまりなかった気がします。上京する前に1年間通っていたのもあるかもしれないです。『これから頑張るぞ!絶対』みたいな感じじゃなく、『うん、頑張ろう』みたいな感じでした」 ――レッスンにはついていけていました? 「最初の2年ぐらいは、養成所のレッスンについていけずというか、僕自身のやる気も結構曖昧な感じで、窓際族っぽい感じでした」 ――その時点で俳優としてやっていくという気持ちには? 「まだなってなかったですね。そういうことを考え始めたのは、事務所に所属になってからかもしれません。それまではお金をもらって…という実感とかもなかったので、とりあえず楽しみたいぐらいのことだったかもしれないです」 ――一人暮らしもそんなに不自由もなく? 「バイトとかは大変でした。養成所のレッスンは週に1回しかないので、カフェと餃子屋さんでバイトをしている時間の方が長かったです」 ――養成所には何年行かれたのですか 「4年間行きました。今はどうかわかりませんが、その当時は、養成所の期間は何年って決まってなかったので、最終的に7、8年通った人もいたと思います。珍しいタイプの養成所で、ほかの養成所は、週5とか週6とかでレッスンがあったりするんですが、うちは週に1回しかなかったですし。 辞めちゃった人もたくさんいますが、そのまま事務所に所属になっているのは、多分2人か3人だと思います」 ――最初に舞台「話半分」に出演されたのが養成所に入って3年目 「確か成人式の次の日が本番で、地元の友だちとかも仙台から東京まで見に来てくれました。今改めて舞台に立つのとそんなに変わってないかもしれないです。普通に緊張もするし。 舞台は稽古があるので、稽古でやったことをやるしかないみたいな感じですかね。だから、『よし、初めての舞台だ!』みたいなこともあまりなかった気がします。緊張はもちろんするんですが、余裕がなかったということなのかもしれないです。 どんな舞台だったかとか、すごくよく覚えているんです。最初どういう状態で板付きで待っていて…とかは覚えているんですけど、お客さんの表情がどうとか、初めて劇場に入るってこういう感じなんだとか、そういうことはあまり覚えていない。 本番をやることしか頭になかった感じですかね。めちゃくちゃ視野が狭いんでしょうね。そういうところは今も変わらないかもしれないです」