「数年で死、手術もできない」難病進行、異常な息切れ 命をつなぐため肝臓移植へ…記者が知ってほしい「臓器をもらうとは」(前編)
余命は数年。症状が進みすぎ、唯一の救命手段である臓器移植も不可能―。記者として働き始めて5年目の2023年春、肝臓と肺の難病を患った27歳の私は、急激に症状を悪化させ、危険な状態に陥った。 【写真】中国、血を売る若者ら後絶たず 息子が急死、携帯電話に残されたやりとりを見ると…
それから半年。副作用に苦しみながら投薬治療でなんとか症状を抑え込み、移植手術は現実的な選択肢になった。だが、ドナーが見つからずに亡くなる患者も多くいる。「脳死移植」を待つか、「生体移植」を受けるか―。私たちは家族全員で話し合いを重ねた。 臓器をもらうとはどういうことか、イメージできる人は多くないのではないだろうか。誰もが臓器をあげる側にももらう側にもなりうる今、移植とは何かを知ってほしい。(共同通信=高木亜紗恵) ▽肝臓の異常 2018年末、大学4年だった私は何度か原因不明の強い腹痛に襲われ、東京都内の病院を受診した。精密検査の結果、腹痛との関係は分からないが、肝臓に流入するはずの血液がうまく入っていかない難病と判明。行き場を失った血液はあちこちに迂回し、食道の血管が発達してこぶ状になったり、脾臓が通常の4倍の大きさに腫れ上がったりしていた。 当時はボクシングジムに通っていたほどで、日常生活に不自由はなかった。だがこの状態を放置すると命に関わるといい、19年7月と11月、共同通信に就職して配属された三重県で、こぶを取る手術と脾臓を摘出する手術を受けた。まだ深刻な病気だとは思わず、就職後すぐに手術を受けなければならなかったことに、憤ってさえいた。 ▽発症のサイン
だが、治療はこれで終わらなかった。体の中で何かえたいの知れないことが起こっている―。そう確信したきっかけは「異常な息切れ」だった。2021年1月、正月休みで帰省し、同期の記者2人と一緒に、東京都渋谷区の明治神宮へ出かけていた。境内をゆっくりと歩くと、急にマラソンをした後のような息切れがした。運動不足だろうかと考えたが、違和感は拭えなかった。 数日後、大学病院に駆け込んだ。心臓に管を通して調べたところ、診断は、指定難病の「肺動脈性肺高血圧症」。心臓から肺に血液を届ける「肺動脈」の血圧が異常に上がり、負担がかかった心臓が酸素を含んだ血液をうまく全身に送れず、息切れを起こしていた。進行するとやがて心機能が低下する。発症には肝臓の異常が関係しているとみられた。 すぐに肺動脈の血圧を下げる薬の服用がはじまった。症状は楽になり、また仕事漬けの生活に戻っていった。 ▽勘違い 2021年4月、転勤に伴い、名古屋の大学病院に転院した。改めて病気の説明を受け、妊娠・出産が禁忌とされていることや、運動は控える必要があることを知った。このとき主治医がこぼした言葉が妙に耳に残っている。「昔はとても恐ろしい病気だったけど、今は良い薬がたくさんできているんだ」。直径5ミリの白い錠剤。これさえ飲んでいれば、他人と同じように生活でき、平均寿命を生きられる―。そう思い込んでいた。