奮戦! 日本陸軍が誇る大口径カノン砲【89式15cmカノン砲】
かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。 優秀な重カノン砲を求めた日本陸軍は1920年からその開発に着手し、1929年に89式15cmカノン砲をいったん制式化したが、さらに改修を加えて1933年に改正制式化している。 初期の89式15cmカノン砲は砲身と砲架に分解して2両のガン・トラクターで牽引したが、1940年に開発された単車89式15cmカノン砲は分解せずに牽引が可能な構造とされ、大型ガン・トラクター1両で牽引することができた。 89式15cmカノン砲は、安定した設計でバランスもよく、威力的にも適正だったため実戦でも活躍している。 まず増加試作砲が2門、1931年の満州事変に投入されて実戦運用データの収集に用いられた。続いて1939年のノモンハン事件では部隊運用されたが、実戦環境が日本軍に不利だったこともあり、ソ連軍砲兵の物量の前に苦戦を強いられた。ただし89式15cmカノン砲の性能自体は高く評価されている。 太平洋戦争が始まると、周到な準備ができていた緒戦における香港攻略戦、マレー・シンガポール攻略戦、フィリピン攻略戦などで、優れた射程と威力によりイギリス軍やアメリカ軍の砲兵を圧倒し、勝利に貢献した。 しかし大口径カノン砲であるがゆえガン・トラクターなしでは機動性がほぼ失われること、さらに、弾薬類の補給が潤沢でなければ相応の威力を発揮できないという、すべての火砲に共通の問題を抱えた日本陸軍では、太平洋戦争中期以降の戦場で89式15cmカノン砲の威力を最大限に発揮させることは難しかった。 とはいえ、事前に相応の準備を整えることができた沖縄防衛戦では、アメリカ軍にかなりの損害を与えている。 本連載で何度も記していることだが、砲自体は優秀でも弾薬の供給や牽引車の配備など、砲をバックアップする態勢が脆弱な日本陸軍は、勇敢かつ優秀な砲兵と彼らが操る砲を完全には活用できなかった。まことに惜しい現実であった。
白石 光