ゆとり先生の教育提言(1) 「ゆとり教育の指導者第1世代」の挑戦
2000年代前半、私が20代前半のときに行った授業での実践を何点か挙げてみます。 ▼外国人にあなたの好きな「日本」を紹介するプレゼンテーション(現代社会) ▼岡山郷土料理「ばらずし」は本当においしいのか?(日本史A) ▼確実に相手を落とすラブレターの書きかた(情報A) ▼ハンセン病差別の歴史を考える(現代社会) 当時、私が受け持っていた生徒は基本、勉強が嫌いです。椅子にじっと座っているのが苦手な子も多かったです。ただ、意欲が無いわけではない。興味あるものにはぐっと食いついて来る。そのような集団にこそ「ゆとり」ある教育でじっくり向き合うことが必要なのではないでしょうか。そんな信念に基づき、生徒と歳が近かったこともあり、生徒たちの小さな興味や問題意識を見つけ、教科書にはない知識の断片を与え、主体的に考えさせる教育を実践していました。 そう、20年後に世の中の主流となる「主体的対話的で深い学び」=アクティブラーニングを勝手に始めていたのでした。20代前半のワカゾーが好き勝手授業していたので、校内で問題にならないのか? と心配される読者もいるかもしれませんが、このときは、全く問題にならない、というか上司も同僚も「特進路線」にばかり目がいっていたので、そこから外れる実践など眼中になく、良い評価もなければ悪い評価もない。完全スルーでした。その点はその後10年を考えると助かりましたね。
「脱ゆとり」時代でも通した自己流
教員としての経験を積んできた2010年代、私にとっては更なる実証実験の時期でした。世の中は「反ゆとり」から「脱ゆとり」への舵取りが決定的になりつつも、新しい教育潮流「アクティブラーニング」という言葉が出始めた頃でもありました。 30代になった私は、校内で責任ある仕事を持たせてもらう機会が増え、自分自身の授業だけをしていれば良い、という状況ではなくなってきます。多忙を極め、1日の労働時間が10時間を超えるのはザラでした。しかし、20代のころ好き勝手にできていたことを、学校全体の教育方針として実現できるチャンスでもありました。私の教育の原点である「ゆとり教育」をこの時代だからこそ活かす実践を始めました。 ▼大手デパートとコラボした東日本大震災復興バザーの企画(ホームルーム) ▼地元交通事業者とのコラボによる公共交通を考えるプログラム(現代社会演習) ▼宿題を民主的に決める試み(総合的な学習の時間(主権者教育)) ▼授業しない先生の授業(世界史A) ▼校内におけるサードプレイスの設置(課外活動) この時期、私は、学校外の人々との連携に力を入れました。先生は多忙です。すべてを学内のリソースだけで組み立てると、スイッチを入れた瞬間、崩壊します。そこで、私の実現したいことを企業経営者、行政関係者、NPOなど非営利セクターのみなさんとのコラボで一つ一つ形にしていくことにしました。 この流れは実に上手くいきました。というのも、当時、私は校内で広報室長という校内の情報発信の責任者をしており、校内の各先生方に自身の教育実践をインターネットで発信しようと呼びかけていました。ただ、みなさん、それほど積極的に発信されることもなかったので、仕方なく、私の実践を発信し続けていました。 すると、新聞やテレビが私の実践をおもしろがって採りあげてくれるんですね。ありがたいことに私指名で入学してくる中学生もいたようで、「校内の変なワカゾー教員」は「岡山のおもしろ実践先生」に変身しました。