ゆとり先生の教育提言(1) 「ゆとり教育の指導者第1世代」の挑戦
1990年代の終わりから2000年代初めまでは、不景気による就職難に加えて少子化と団塊の世代教員の大量在籍による「先生余り」の時代だったのです。2000年の教員採用試験の競争倍率は小学校で12.5倍(2018年は3.2倍)。数字を見ても、先生になることがいかに狭き門であったかが分かります。せっかく新しい教育潮流を学んだ新世代教員が登場しても、その絶対数が少なすぎて学校現場に配属されれば超マイノリティーな存在だったのです。
私は2000年4月に私立高校に就職しました。当時の職員室の平均年齢は46、7歳くらいだったでしょうか。詰め込み・管理教育を支えた世代が、校長を中心に学校運営の中心にドンといました。そのような中で教員人生をスタートさせます。
「ゆとり教育」どこ吹く風
先にも書いた通り、私は大学で「ゆとり教育こそ未来の教育を救う」と学んできていますから、「ゆとり教育」の実践に意欲を燃やします。ところが、職員室で周りを見てみると少し様子がおかしい。 若手でもスター扱いされているのは、生徒に「知識を教え込む」のが上手な先生。土日も長期休業も補習補習、「とにかく試験で点を取って難関大学に進学だ!」という価値観が蔓延(まんえん)していました。そう「反ゆとり」の代表格として、全国の中堅私立高校に吹き荒れた「特進路線」です。「反ゆとり」の論調は、学力低下を怖れ、その原因を「ゆとり」であるとした一定の保護者から支持を得て(それも割と大きな声で)いましたので、私のような、20代前半のペーペーが何を言っても現場は変わりません。 ではその頃、私は何をしていたのかというと、学校内でも「特進路線」の流れに乗れない「学力下位層」と言われるクラスを受け持つようになります。しかし、これが実に楽しかった。当時は「若手で特進のクラスを持てないのは能力が低いので出世もできない」というのが学校内での既定路線でしたので(狭い私立高校職員室の世界で「出世」といっても教頭や副校長になるのが関の山なんですけど)、そこに喜んで行く私は校内では変わり者扱いされていました。