野村克也が怒った「何しとるんや」門田博光との関係…170cmの無名選手が“歴代3位の本塁打数”を打つまで「飛んでくるな…」元同僚が語る“恐怖心”
野村克也の叱責「何をしとるんや」
門田はプロに入っても“球界の常識”を疑った。南海ホークスに入団した70年、コーチの指示で外野からの返球を何十回も繰り返していると、肩に激痛が走る。練習後、門田は誰もいなくなった風呂場で患部に水を掛け続けた。「肩を冷やしてはいけない」という迷信が蔓延っていた時代である。 30分ほど経つと、ガラガラとドアの開く音がした。俯きながらノソノソと歩いてきた野村克也選手兼任監督は顔を上げるなり、「何をしとるんや」と叱責した。「注射を打ったら治るやないか」と呟く指揮官に、22歳のルーキーは「(注射を何度も打つと)筋肉が硬くなって収縮運動が弱くなると思いませんか」と返した。そのオフ、野村は著名な医者から同じ言葉を聞き、門田を見直したという。 〈あとになって「カド、お前、ええこというやんか」と始まった。「お前、なんでそんなことわかってるのや」 そろそろアイスパック理論も出はじめて、以降、いっさいつっこんでこなくなった。〉(2006年12月発行/書籍『門田博光の本塁打一閃』/ベースボール・マガジン社) なぜ、門田は“非常識”なウエイトやアイシングをいち早く取り入れられたのか。 〈科学的、医学的な理論でもなんでもない。体がそれを欲したからこその実践教育、自然に感じとった私だけの治療法。それが近年になって、医学的見地から立証されるようになり、みんながやるようになった。〉(前掲書)
落合博満との“決定的な違い”
自分の感性を何よりも大切にする門田は、練習方法でも工夫を重ねた。80年代のロッテオリオンズの内野の要である水上は、南海の本拠地・大阪球場を訪れる度に驚愕していた。 「試合前、バッターボックスから2メートル前に立って、打撃投手に全力で投げさせ、必死に打っていた。私には信じられなかった。普通は120キロくらいのボールを気持ち良く打って、試合に臨む。ロッテでも他のチームでも、そうでした。でも、門田さんは体感で140キロくらいの速球を打ち返していた。前に出て行って、思いっきり投げさせれば、体に当たる可能性もある。逆に、打った球がピッチャーに直撃する確率も高くなる。命がけの練習をしていました」 同じ時代にしのぎを削ったロッテの落合博満は、速球に対応するために緩いボールをひたすら真芯で捉えた。川崎球場の室内練習場で共に汗を流した水上が言う。 「2人は真逆ですね。落合さんは遅いボールで自分のスイングを固めていった。試合前のフリー打撃でも、落合さんはライト、センター、レフトの順にヒットを打ち分けて、最後にスタンドに放り込む。門田さんは全球ホームランを狙っていた。しかも、速い球を8割くらいスタンドに放り込んでいた印象があります」
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