空き地に響く「ユーココール」 ガザで心身が疲弊していた私に元気をくれたのは現地の子どもたちだった
昨年10月7日、イスラム組織ハマスによる攻撃への報復として、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃が始まって1年。いまも攻撃は続き、これまでに4万人を超える犠牲者が出ている。さらに、食糧不足や衛生面の悪化など人びとの生活状況は深刻だ。昨年10月の攻撃後に届いた派遣要請に応じ、11~12月にガザに入った国境なき医師団(MSF)日本の会長で救急医・麻酔科医の中嶋優子さんは、帰任後も取材や講演等で現地の状況を証言し、停戦を訴え続けている。当時の日記をもとに、全10回の連載で現地の状況を伝える。 【写真】空き地に響く「ユーココール」 ガザで心身が疲弊していた私に元気をくれたのは現地の子どもたちだった * * * イスラエルとイスラム組織ハマスは11月24日から4日間の停戦に入った(その後2回延長し、実際の停戦期間は7日間)。ガザに入ってからずっと聞こえていたドローンの「ブーン」という不気味な音や、昼夜関係なく響きわたる爆撃音がなくなった。すっかり音に慣れてしまっていたので、静けさが新鮮に感じた。 ----- 《11月24日の日記から》 今日からcease-fire(停戦)! 朝すごい子どもたちの声がした。朝ちょっとミーティングしてから病院にいった。街中はすごい混んでて少し平和が戻ってきてなんか活気がある。 病院は住人(※避難者が集まって寝泊まりしていた)が引き払ったからかいつもよりだいぶ空いてた。それでも混んでたけど。 (略) 今夜はドローンの音がしない! ----- 病院に爆撃による重傷者がどっと押し寄せる「mass casualty」はなく、停戦初日は病院も落ち着いていたが、2日目以降、普段と違う種類の患者さんが増えた。受傷後数週間経った重傷患者さん、慢性疾患の悪化、透析患者さん、などなどが北部の機能しなくなってしまった大病院のシファ病院及びインドネシア病院から運ばれてきた。それまでは受診や転院搬送が必要でも、移動中にいつ攻撃を受けるかわからず、危なくて移動が出来なかった人たちがやっと移動できるようになったからだ。あっという間にベッドが足りなくなり、患者さんは廊下まであふれていた。意外とこの時の方がベッドの不足が深刻になり、病院は史上初めて「これ以上患者さんを受け入れ出来ません」という宣言を出した。そうは言っても機能している病院は少なく、何の効力もないのだけど。この状態で戦闘再開したらどうなってしまうのだろう、と思った。 病院側は駐車場にテント等を大急ぎで増設し始めていたが、外のテントでは出来る医療行為は限られている。停戦中は複数の組織からの支援物資が届いたが、ランダムな医療物資がごっちゃになって届いて整理するのが大変だった。必要ではない医療物資が届いたり、必要な医療物資が依然として届かなかったりした。こういった状況――医療支援物資が複数組織から届くものの、本当に必要なものが届かず、使えない医療資材が倉庫にほこりを被りながらたまっていく状況は他にもあった。もう少しコーディネート、統制が取れると良いのだが……、と前回の赴任地でも思ったが複数の組織間で、戦渦ではなかなかそこまで送る方も受け取る方も手が回らないのだろう。