「傷痕の奥に見えるもの」千早茜×石内都『グリフィスの傷』
嫌な人とは会わなくていいし関係を切ってもいい
千早 聞いてみたかったことがあります。2019年にちひろ美術館で『石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語』という展示をされましたが、「ちひろの遺品を撮るという話があったときに、いわさきちひろに全然興味がなかった」とインタビューでおっしゃっていました。興味のないところから母と子の共通点を見つけて、自分の母とちひろを重ね合わせながら遺品の写真を並列して展示されていたんですが、どうやって興味のないところから自分の中に響く何かを見つけているんでしょうか。 石内 難しい質問ですね。新しい仕事というのは発見なんですよ。今まで知らなかったことをどうやって知るのか。ちひろさんと母がまさか同時代を生きていて、年齢も二つしか違わない。しかも二人とも七つ年下の男性と一緒になっていたなんて仰天でしたが、それを知ったのは彼女の文献を全部読んだからなんです。 千早 興味がないと言いながら読むんですね。 石内 それは、引き受けるのは簡単だけど、断るのはすごく難しいから。断るには理由が必要で、そのためには資料を全部読まないといけない。 千早 なるほど。すごく誠実だ。 石内 ちひろさんは働きすぎで亡くなったでしょう。うちの母はそこまでではないけれど車を運転する仕事をずっとしていて、二人とも働く女だった。資料を読んでいくうちに、偶然あの時代に二人の女性に重なるところがあるのを自分で見つけたのね。興味がないからやめるのではなく、断るにはどうしたらいいだろうと考えるのよ(笑)。 千早 とても勉強になります。一般的には興味がないことを断る理由にするほうが多数派な気がします。関心のあることで自分を構築すればそれでいいという人が大勢いますし、私もそうなりやすいタイプなので。 石内 いわさきちひろは有名だから基本的なことは知っていたけれど、彼女の人生についてはほとんど知らなかった。知らないことを知るのは面白いのよ。 千早 私もいわさきちひろの人生とかほとんど知らなかったから、あの展示で知ることができて面白かったです。 石内 それで、あなたは『石内都 都とちひろ』(求龍堂)の本にエッセイを寄せてくれたでしょう。あれ、私は大好きです。 千早 ありがとうございます。あのエッセイは書くのが苦しかったですね。私は母との関係性があまりよくないので、そのことを初めて書きました。 石内 高齢になってくるとだんだんと人と出会うのが面倒になってくるもので、そうすると誰と会うのかを選ぶ基準もはっきりしてくる。だから嫌な人とは会わなくていいと思えるし、今までの関係性を切るのもありだと思います。人間関係が、ある一方ではだんだん少なくなっていき、でも一方で増えるところは増えて、その落差がすごいから、歳を取るのも面白い。若いときにはもう戻りたくもない。今がいちばんいいですね。 千早 なるほど。 石内 私のように歳を取って現役でいる女って少ないのよ。変に目立っているところもあるし。 千早 石内さんはあれは好き、これは嫌いってはっきり言うけれど、愚痴や文句は言わないですよね。 石内 好き嫌いと文句は違いますよね。 千早 そう。それを石内さんとお話しするようになって初めて知りました。ぜんぶ好き嫌いの話だから、遺恨みたいなものがない。 石内 それはたぶんあなたよりも経験しているから。いちばん面倒なのは人間関係で、人間同士の問題がいちばんたいへん。問題は解決できなくても、だんだん好き嫌いがはっきりしてくると、自分で関係を決めることができる。 やっぱり大病をしてからいろいろ考えたんです。病院って考える時間がたくさんあるでしょう。私が入っていたのは最上階の天空の部屋みたいなところでした。すると空しか見えない。そこで人生についていろいろ考えるうちに、私は誰の言うことも聞いてこなかった、自分勝手に生きてきたんだな、ということがしみじみわかってしまって。これからは他人の言うことも聞こうと思ったんです。親の言うことも一切聞いていなくて、なぜ親は言うことを聞かない私のことを平気で許していたのか、それが不思議だった。考えてみると、親が私に合わせていたんだなと。ひどい子どもだった(笑)。 千早 優しい親御さんだったんですね。私の親はこっちに合わせる気はないし、私も親に合わせる気はないので、すれ違いです。向こうにも言い分があるとは思いますが。 石内 私の父は七十一で、母は八十四で亡くなった。だから、母の年齢まで、八十四までは生きようと思っています。親が生きているときはうっとうしいけれど、亡くなると考えさせられる。私は親に恵まれていたと思います。だって子どもの言うことを全部聞く親なんてそんなにいないと思うから。この歳になって親のありがたみを感じますね。 千早 石内さんからそんな言葉が出るとは。 石内 歳をとるといろいろなことがあります。だから面白い。だって多くの経験をするのは時間がかかるもの。若い頃の経験は本当になんてことなくて、時間とともに経験がどんどん積み重なっていくと、それが初めて自分の身になる。だから長生きは絶対したほうがいい。 千早 うちは長生き家系だから、私もそうかもしれません。 石内 もう一つ、八十四というのは荒木陽子(写真家の荒木経惟の妻)が四十二歳で亡くなったから、その倍を生きようと思ってね。 千早 お友達だったんですよね。 石内 そう。私は陽子さんと同い年で、私も本名が陽子だったこともあって、親しかったんです。だから八十四歳まで生きないと。