「傷痕の奥に見えるもの」千早茜×石内都『グリフィスの傷』
欠落した部位の感覚が残り続けるのは体の記憶なのか
石内 この中に、指が切断される小説があったでしょう。 千早 「指の記憶」ですね。 石内 あれを読んで、水木しげるさんの腕のことを思い出しました。以前、水木さんの映画を作る計画があって、パートナーがニューギニアに一緒に行ったんです。 千早 すごいですね。いいなぁ。水木しげるさん、大好き。 石内 水木さんは太平洋戦争のときに南方に出征して、左腕を失っているんですね。でも、腕はもうないのにある感覚がする、と言っていたそうです。そういうものらしい。体の記憶なのか形の感覚なのかわかりませんが。 千早 そう聞くと各パーツに記憶がある気がしてきます。美容形成の先生から聞いた話ですが、眉を整形する場合、頭皮の毛根を移植するんです。すると、本来の眉毛は毛先が細くなっていて一定以上伸びないようになっているのに、髪の毛を移植すると髪のように長く伸びてしまうらしい。その話を聞いて、移植された場所でも細胞は本来の役目を果たそうとするということは、私たちの意思とは関係のない細胞の記憶があるんじゃないか、と思って「指の記憶」を書きました。 石内 それはあると思いますね。 千早 他は医学書を読んで、そこからイメージを膨らませたんですが、「指の記憶」は自分の想像で書いた作品です。
傷はその人の時間の過ごし方が形になっているもの
石内 「あおたん」も興味深く読みました。 千早 「あおたん」は全身に刺青を入れたおっちゃんと、幼いときから男好きのする顔だと周囲から非難の目で見られて育つ女の子の物語です。 石内 昔、この小説に出てくるような刺青の写真を撮ったことがあって……そうそう、これ。今年の八月から群馬の大川美術館で展示します。今日見せようと思って、編集の方にメールで送ってもらいました。 千早 (タブレット上で石内さんの撮った刺青の写真を見て)本当に「あおたん」の刺青みたいです。すごい偶然。鳥肌が立ちました。こんなに符合することがあるなんて。 石内 もしかしたら、あのおっちゃんの刺青かもしれないですよ。そう思うと面白い。 千早 確かに。私は刺青が好きで、東京大学が収集した刺青の人皮の写真や昔の雑誌特集を持っていてそこからイメージして書きました。 石内 集めているのは東大だけじゃなくて、私は東京歯科大学が収集しているのを撮ったのよ。(写真を見せながら)これは刺青をした人の皮膚を剝いでから、中に詰め物をして人の形に整えたものを撮影したの。 千早 わっ、すごい。私が見たことのある標本は平たいものばかりでした。 石内 もちろんそういうのもあって、これは特別に詰め物をした人形。 千早 歯科大学なのに刺青の収集……。不思議です。 石内 どうしてかはわかりませんね。趣味で集めていた先生がいたのかな。大学の建物を壊すから撮ってほしいといわれた、記録の写真です。 千早 刺青をしていた人の記録は残っていたんですか? 石内 どうなんでしょう。でもそれには全然興味がないんです。ただ刺青がたくさんあって、それを撮影したというだけ。だから「あおたん」を読んでびっくりして。 千早 「あおたん」も、さっき出てきた「まぶたの光」も内容が整形に関係しています。最初は整形の話を書こうとして、取材で美容形成の先生にお目にかかったんです。その先生はとても面白くて、興味深いお話をたくさん聞かせていただいたんですが、私自身がどうしても美容形成自体を肯定的に捉えられなくて。もちろん必要としている人を否定しているわけではありません。ただ、ダウンタイムの写真などを見るとどうしてもつらくなってしまって。じゃあ自分がポジティブな気持ちで書けるものは何だろうと考えて、刺青だと思いついたんです。 石内さんは傷痕を美しいと思って撮っているんですか? 石内 もちろん! 千早 いい返事(笑)。 石内 傷痕はとてもきれいなもの。傷痕って一見表面だけのものに見えて、言ってみればその人の時間の過ごし方が形になっているとも捉えられる。傷を受けるのは非常にマイナスイメージがありますが、傷痕として体に残っているのは命の形みたいに思えるのね。だから、美しいという表現は変かもしれないけれど、魅力的。 千早 私も傷痕がすごく好き。生きた証だと思います。「からたちの」に出てくる戦争の傷を題材にする孤高の画家のように、石内さんの作品の中には戦争のときに負った傷痕を撮ったものもあります。でも、そういう不条理な暴力で傷を受けた人の前では、傷が好きだなんて言えません。それで小説にしようと思ったのもあります。 石内 さっき整形の話が出ましたが、「あおたん」の主人公の女の子は器量良しなのにそれが嫌で、美容形成手術でそれを崩す。でもそれが彼女の望んだ自分の顔。そこがすごく面白い。何を美しく、何を醜いと感じるか、根本的な部分が各々違う。要するに美醜とは何か、の問題なんでしょうね。 千早 美容形成の先生によると一重まぶたが嫌で二重にする人がほとんどだけれど、たまに二重を一重にしたい人がいるらしいんです。それで担当編集者と、一般的な美を崩す方向の変化があってもいいんじゃないかと話しました。美醜がいろいろあってもいいのでは、と考えて。 石内 そうそう。美醜は裏返しだから、どちらも一緒のところがあるだろうし、違うところがある。 千早 そうは言っても一定化してくるというか、自分では意識してなくても、周りに言われたら嬉しくなったり気になってきたりするから、つい一般的にかわいく見えるほうに流れようとする気持ちもわかることはわかるんですよね。 石内 でも、傷をテーマに十編も書いたのはすごいですね。 千早 まだまだ書きたい傷の話があるんです。医学書を読んで、いろいろな症例写真を見ながら想像して書いているんですけれど、当たり前ですがその症例写真の傷は、石内さんの撮られている傷の写真とは全然違うんですよね。どの傷も同じではないし、その傷にまつわる物語も全部違っています。傷の数だけ物語があるし、無限に書ける気がしました。