「傷痕の奥に見えるもの」千早茜×石内都『グリフィスの傷』
傷に対する捉え方のジェンダー的変化が進行中
石内 十編のうち、「この世のすべての」がいちばん印象的でした。この主人公はきっとレイプされた女の子で、かなり大きな傷を負っている。ラストでははっとしました。 千早 これは以前から書きたかったことで、このラストは短編でないとできませんでした。 石内 同じ傷を持っていても、男と女では違うんだというところに心が動きました。男性は傷があろうがなかろうが、彼女にとってはすべて嫌悪する存在。男と女は住む世界が違っていて、その違いを認めるしかない。同じ部分を探しては駄目だなと思いました。 千早 理解不能なところは確かにありますよね。最近の若い男性はいろいろな面で敏感になってきて、二番目の短編「結露」にも書いたように、優しくなりすぎて人との関係で正解を出そうとしてしまうなど、失敗してはいけないという気持ちが強い。でもそれは女性のことをわかっているのではなく、これを言ってしまったら社会不適合者のレッテルを貼られるとか、わかっていない男と思われるのが嫌で大人しくしている部分もある気がして、本質的には相手を理解できていないのではと思うんです。 石内 男性は物心つく前から、男たるものこうあらねば、という価値観を親や周囲から刷り込まれている。だからかわいそうといえばかわいそうですよね。そういう意味では同情します。 千早 男性でも、男なら風俗に行くのは普通だろ、という考え方やそれを押し付けられることに耐えられない人もいます。セックスは好きな相手としかしたくないのに、男性社会でそういうことを声に出して言えない人は結構いて、私の本を読んでお手紙をくださったりします。繊細な男性が埋もれやすい社会だなと感じます。 最後に収録している「まぶたの光」という小説でも、男の子が顔の火傷の痕をメイクで隠していて、メイクアップセラピストの診察を受けに行く場面があります。女性なら傷を気にしてメイクで隠すのは自然なこととされて、男性だとメイクをするのはどうなんだと思われる。べつに傷を気にせず隠さない女性もいるだろうし、隠したくてメイクする男性だっていると思うんです。傷をテーマにして書くことになり、これ幸いと編集者たちに「傷はありますか?」「どうやってその傷を負ったのですか?」と聞きました。当然みんな理由はそれぞれ違うのですが、傷自体は意外と気にしていないんですよね。先日も額に傷のある若い女性ライターがいましたが、髪を上げておでこを堂々と出していたし、メイクで傷痕も隠していませんでした。 石内 昔だと女性に傷があると負のイメージがあったけれど、今は違ってきているんでしょう。男性でも、男はこうでなければという、作り上げられた一つの強固なイメージから外れる人が増えてきています。最近は自分の男性性を疑う男性も現れてきました。そういう人が、女性をはじめ他者と本当の意味での関係性を結べる気がします。