「傷痕の奥に見えるもの」千早茜×石内都『グリフィスの傷』
よくわからないキズモノという言葉と処女信仰
石内 表題作の「グリフィスの傷」は見えない傷を書いた作品でしょう。 千早 ええ。あれは加害者の話で、加害をした側のことも書きたいと思って。一連の短編を書いているときに、見える傷痕を書くことは、見えない傷を書くことにつながると思いました。傷を撮った石内さんの作品でも、傷痕を提示して、そこに重なる物語を見る側に想像させるんですが、それは結局見えないものを感じさせることになります。 石内 行間みたいなものをね。 千早 そう。それで、いちばん変だなと思ったのは、さっき石内さんがおっしゃったように、女性が性被害を受けたときにキズモノになったといわれる。目に見える部分にはどこにも傷はついていないのに、これにはすごく違和感があって、どうして女性だけがそういわれるのか、そしてなぜ傷と性的な被害とが結びつけられるのかがわからない。それで調べていたら、医療に処女膜再生術というのがあるんだと知りました。 石内 昔、私も知ったときはびっくりした。 千早 レイプされた場合、体だけでもリセットできる。そのための再生術で、だからキズモノは女性にしか使われない言葉なんだと、「結露」にそのことを書きました。 さっきここに来るときに今流行っている漫画を読んでいたら、高校生カップルに子供ができてしまい中絶手術をするのに同意書が必要になり、両方の親にバレてしまう。すると男性側の親が「娘さんをキズモノにして申し訳ありませんでした」って、女性側の親に謝っていました。その謝罪は妊娠した女の子をはじめ、いろいろな方面に失礼だなと思って。割と最近の作品で、令和になってもまだこういうふうに謝る親が描かれるものなのかと、不思議に感じました。 石内 処女信仰というのはずっとあるんでしょうね。いったい何なんだ(笑)。 千早 男性が触れたら、女性は穢れたりキズモノになったりするのかという疑問。男性がそんなに汚く暴力的なものなんだったら、隔離しないとおかしいじゃないですか。 石内 処女信仰がどこからきたのかよくわからないけれど、初めてそこを通るというのは何か神聖な感じを受けるから、神話に近いものがあるのかもしれない。 千早 それも男性社会が都合よく作ったもののような気がするんですよね。 石内 神話自体がすごくグロテスクなものだからね。でも、体が再生して、それでうまくいくなら手術すればいいと思う気持ちもありますね。体ってそんなに自然じゃなくてもいいんじゃない、という思いもあるから。 千早 手を加えてもいい。 石内 そう。ロボットまではいかないにしても、どんどん人工的になるのも人間っぽいな、という感じがする。たとえば歯とか。私は昨年、インプラントにしたんです。もちろん自分の歯が揃っているに越したことはないけれど、インプラントにしたらすごく楽になった。 千早 その手術がちょうど私の直木賞授賞式の日でした。来ていただきたかったのですが、「その日はインプラントの手術で行けないのよ」と連絡をいただいて。 石内 ワンデーインプラントというのがあって、一気に九本抜いたんです。 千早 でも、私が授賞式会場の壇上で選考委員の方と並んでいたら、石内さんがすすすーっと入って来られて、私に手紙をさっと渡して、そのまま帰ってしまわれて。あれはびっくりしました。 石内 病院がたまたま近くて、ちょうど抜けられるタイミングだったのよ。